IV 201-300 

鷲田清一「京都の平熱」, 宮城谷昌光「子産」, 倉本一宏「藤原道長「御堂関白記」を読む」, モンテーニュ 「エセー 1, 「エセー 2, [宮崎駿「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡, 松本健一「日本の失敗」 B Russell,“A History of Western Philosophy”

300 Jane Austen makes fun of the romantics in Northanger Abby and Sense and Sensibility (1797-8). Northanger Abbey has a heroine who is led astray by Mrs. Radcliffe’s ultraromantic Mysteries of Udolpho, which was published in 1794. The first good romantic work in England---apart from Blake, who was a solitary Swedenborgian and hardly part of any “movement”---was Coleridge’s Ancient Mariner, published in 1799. In the following year, having unfortunately been supplied with funds by the Wedgwoods, he went to G ́ ’ottingen and became engulfed in Kant, which did not improve his verse. 

After Coleridge, Wordsworth, and Southey had become reactionaries, hatred of the Revo- lution and Napoleon put a temporary brake on English romanticism. But it was soon revived by Byron, Shelley, and Keats, and in some degree dominated the whole Victorian epoch. 

Mary Shelley’s Frankenstein, written under the inspiration of conversations with Byron in the romantic scenery of the Alps, contains what might almost be regarded as an allegorical prophetic history of the development of romanticism. Frankenstein’s monster is not, as he has become in proverbial parlance, a mere monster: he is, at first, a gentle being, longing for human affection, but he is driven to hatred and violence by the horror which his ugliness inspires in those whose love he attempts to gain. Unseen, he observes a virtuous family of poor cottagers, and surreptitiously assists their labours. At length he decides to make himself known to them: 

“The more I saw of them, the greater became my desire to claim their protection and kindness; my heart yearned to be known and loved by these amiable creatures; to see their sweet looks directed towards me with affection, was the utmost limit of my ambition. I dared not think that they would turn from me with disdain and horror.” [B Russell, “A History of Western Philosophy” (Simon & Schuster, 1945) loc. 12199-] 

201 新聞もいつの頃からか、選挙となると「有権者の厳粛な審判が」という常套句を使って、選挙民をおだてあげ、政治家を下に見る設定の記事を配信するようになっている。それが一概にいけないというのではない。が、叩いた犬は叩かれたようにしか育たない。そういう意味で、われわれが見下している政治家が、見上げるような仕事をしてくれるのかどうかは、はなはだ心許ないはずなのだ。[小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明懲罰できるほど、われわれは偉いのか?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121220/241351/?P=2]

202 無邪気に考えれば、笑顔は、それを供給する者と受け取る者の双方に恵みをもたらす。しかもコストはゼロ。リスクも皆無だ。とすれば、こんなに素晴らしい資源を活用しない手はないではないか。しかし、だ。

 スマイルがノーコストでノーリスクで、しかも天然であり無限であり使い減りもしなければ限界効用さえ逓減しない魔法のツールであるのだとして、そのとおりであるのだとしても、そういう便利なものであればあるほど、やはり使いすぎれば、必ず副作用をもたらす。おそらく世界はそういうふうにできている。 スマイルは、関係を媒介している。 童話の世界みたいに、笑顔を向けた相手が必ず笑顔を返してくるのであれば、通貨としてのスマイルは決して減らない魔法の経済を生むことだろう。 が、現実の世界では、スマイルは下位者から上位者に向けて一方的に無償提供される。ということは、これは、降伏の白旗であるのかもしれない。サル山のプレゼンテーションと言ってしまうのは、たぶん言いすぎだろう.でも、遠いものではない。 服従の証。犬の腹。結局、経済や権力が動かしている世界では、スマイルは、愛情や信頼ではなくて、支配と隷従のための通貨になっている。残念な話だが。[小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明60 秒間の奇跡

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130110/242077/?mlt]

203 又嘉定十六年。癸未。五月中。在慶元舶裏。倭使頭説話次。有一老僧來。年六十許歳。一直便到舶裏。問和客討買倭椹。山僧請他喫茶。問佗所在。便是阿育王山典座也。佗云。吾是西蜀人也。離郷得四十年。今年是六十一歳。向來粗歴諸方叢林。先年權住孤雲裏。討得育王掛搭。胡亂過。然去年解夏了。充本寺典座。明日五日。一供渾無好喫。要做麺汁。未有椹在。仍特特來。討椹買。供養十方雲衲。山僧問佗。幾時離彼。座云。齋了。山僧云。育王去這裏有多少路。座云。三十四五里。山僧云。幾時廻寺裏去也。座云。如今買椹了便行。山僧云。今日不期相會。且在舶裏説話。豈非好結縁乎。道元供養典座禪師。座云。不可也。明日供養。吾若不管。便不是了也。山僧云。寺裏何無同事者理會齋粥乎。典座一位。不在。有什麼欠闕。座云。吾老年掌此職。及耄及之辨道也。何以可讓佗乎。又來時未請一夜宿暇。山僧又問典座。座尊年。何不坐禪辨道。看古人話頭。煩充典座。只管作務。有甚好事。座大笑云。外国好人。未了得辨道。未知得文字在。山僧聞佗恁地話。忽然發慚驚心。便問佗。如何是文字。如何是辨道。座云。若不蹉過問處。豈非其人也。山僧當時不會。座云。若未了得。佗時後日。到育王山。一番商量文字道理去在。恁地話了。便起座云。日晏了忙去。便歸去了也。同年7月。山僧掛錫天童。時彼典座來得相見云。解夏了退典座。歸郷去。適聞兄弟説老子在箇裏。如何不來相見。山僧喜踊感激。接佗説話之次説出前日在舶裏文字辨道之因縁。典座云。學文字者。爲知文字之故也。務辨道者。要(冖+月)辨道之故也。山僧問佗。如何是文字。座云。一二三四五。又問。如何是辨道。座云。(彳+扁)界不會藏。其餘説話。雖有多般。今所不緑也。山僧聊知文字。了辨道。及彼典座之大恩也。

又嘉定十六年(1223),癸未,五月中。慶元の舶裏に在りて,倭使頭説話の次,一老僧有り來。年六十許歳。一直に便ち舶裏に到り,和客に問ふて倭椹を討ね 2 買う。山僧他を請して茶を喫せしむ。佗の所在を問へば,便ち是れ阿育王山の典座なり。佗云く,「吾は是れ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年是れ六十一歳。向來粗ぼ諸方の叢林を歴たり。先年權りに孤雲裏に住し,育王を討ね得て掛搭し,胡亂に過ぐ 3 。然るに去年解夏了 4 ,本寺の典座に充てらる。明日五日 5 なれども,一供渾て好喫無し 6 。麺汁を做らん 7 と要するに,未だ椹の在らざる有り。仍て特特として來る。椹を討ね買いて,十方の雲衲に供養せんとす」と。山僧佗に問ふ,「幾ばく時か彼を離れし」。座云く,「齋了 8 」。山僧云く,「育王這裏を去ること多少の路か有る」。座云く,「三十四五里」。山僧云く,「幾ばく時か寺裏に廻り去るや」。座云く,如今椹を買ひ了らば便ち行ん」。山僧云く,「今日期せずして相ひ會し,且つ舶裏に在て説話す。豈に好き結縁に非ざらんや。道元典座禪師を供養せん」。座云く,「不可なり。明日の供養,吾れ若し管せずんば,便ち不是にし了らん」。山僧云く,「寺裏何ぞ同事の者齋粥を理會する無からんや。典座一位,不在なりとも,什麼 9 の欠闕か有らん」。座云く,「吾れ老年に此の職を掌る。及ち耄及の辨道なり。何を以て佗に讓る可けんや。又た來る時未だ一夜宿の暇を請はず」。山僧又典座に問ふ,「座尊年 10 ,何ぞ坐禪辨道し,古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て,只管に作務す,甚の好事か有る」と。座大笑して云く,「外国の好人,未だ辨道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」と。山僧佗の恁地の話を聞き,忽然として發慚驚心して,便ち佗に問ふ,「如何にあらんか是れ文字。如何にあらんか是れ辨道」と。座云く,「若も問處を蹉過せずんば,豈に其の人に非ざらんや」と。山僧當時不會。座云く,若し未だ了得せずんば,佗時後日,育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ること在らん」と。恁地話り了って,便ち座を起って云く,「日晏れ了ん,忙ぎ去ん」と。便ち歸り去れり。同年7月,山僧天童に掛錫す。時に彼の典座來りて得相見して云く,「解夏了に典座を退き,郷に歸り去らんとす。適ま兄弟の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ來りて相見ざらんや」と。山僧喜踊感激して,佗を接して説話するの次で前日舶裏に在りし文字辨道の因縁を説き出す。典座云く,「文字を學ぶ者は,文字の故を知らんことを爲す。辨道を務る者は,辨道の故を(冖+月)(うけが)わんことを要す」と。山僧佗に問う,「如何にあらんか是れ文字」。座云く,「一二三四五」。又問う,「如何にあらんか是れ辨道」。座云く,「(彳+扁)界會て藏さず」と。其の餘の説話,多般有りと雖も,今緑せざる所なり。山僧聊か文字を知り,辨道を了するは,及ち彼の典座の大恩なり。[道元「典座教訓」[79]-[101] http://homepage3.nifty.com/junsoyo/taberu/tenzo.htm ]

2 たづね

3 育王山をたずねて,なにごともなくぶらりぶらり日を過ごしてきた。

4 夏安居がすんだ。(七月の十六日で自恣の日)

5 五日の日と三日の日には,住職が須弥壇にのぼり法を説く。この五三上堂のときは,大衆に供養をする。

6 すべての供養の品においしいものがない。

7 つくらん

8 昼ご飯が終ってから。

9 何の

10 もう大分お歳ですが

 204 将棋の世界は、データや知識をきちんと押さえて、分析して,自分なりの見解を付け加えていくことが,大きなウェートを占めています.ただ,それだけでは進歩がない. 同じ形ばかりやっていると,つまらない,ということもある.勝負としては正しい撰択かも知れませんが.そこで,楽しさを取るのか、勝負を取るのか、冒険心を取るのか、結果を取るのか.実は,そこがすごく揺らぐところなんです.

 中略

どんなに考えても答えがわからない局面というのがある.答えがわからないときは、ロジックだけでは解決しないじゃないですか.その際,大切なことは,「この場面は答えがわからない」ということがわかるかどうか,です.

 中略

 大切なのはそぎ落としていく作業ですね.これはどう考えても必要ないからやめよう、これはリスクが高すぎるからやめよう、あるいは,これ以上データを集めるのはやめよう、という作業ですね.[羽生善治42 歳を語るAERA 2012 12/10 p40]

 205 藤井: 今おっしゃった民営化については何がいいのか、私には分かりませんね。民営化の弊害は確実にあって、とりわけインフラにおいては、民営化をすればするほど国益を毀損することが起きてきたのが、これまでの歴史ですよ。例えば民営化後のJR は、地方のローカル線を廃線にし、新幹線も建設しなくなってしまった。

 事故が起きた中央道・笹子トンネルは、旧日本道路公団が分割民営化されてできた中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理していますが、ここにも民営化の弊害が関係していると私は見ています。民営によってコストばかりを考えるから、安全を守ろうという文化は失われていっている。

 民営化だけでなく、コンセッションについても同じでしょう。受注した方は安い金で買いたたかれてやるわけですから、契約は守るかもしれないけれども、(安全の確保という)大きな目的を守ろうという動機を失いますよ。

 「本当にこの橋を守ろう」という魂があれば、その橋は守られるわけですけど、コンセッションは、そういう魂を阻害する方向に動きます。コンセッションがいいと思っている人は多いですが、そんなことをやればやるほど、日本は不幸になってきたという事実をまず知らないといけない。

 老朽化対策、維持補修において大事なのは、「その橋を落とさない」と思う人間の心です。その人間の心をどうやって保守していくかが、老朽化対策の一番のポイントです。笹子トンネルの事故も、そういう精神性の欠如が背景にある可能性は十分あると思います。[中野目純一,PFI のような付け焼刃は役に立ちません!」「国土強靭化」のブレーン、藤井聡・京都大学教授に老朽化対策を聞く

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130206/243390/?P=6&nextArw ]

206 Thomas Bayes was a non-conformist English minister of substantial mathematical in- terest. (He would probably be a math professor these days.) His death in 1761 was almost in vain, but his friend Richard Price had Bayes rule, or theorem, published posthumously in the 1763 Transactions of the Royal Society. (Price thought the rule was a proof of the existence of God, an attitude not entirely absent from the current Bayesian literature.) [BRADLEY EFRON, A 250-YEAR ARGUMENT: BELIEF, BEHAVIOR, AND THE BOOTSTRAP BAMS 50 129 (2013)]

207 Anniversaries of important events generally lead to a spate of articles and news reports looking back at those events. Its not exactly irrational: the date can serve as a kind of focal point, in which articles that could have been written at any time can be published in the expectation that other pieces on the same subject will be published at the same time, raising the story to prominence. And theres a very big anniversary coming up next week the start of the Iraq war. So why does there seem to be so little coverage? Well, its not hard to think of a reason: a lot of people behaved badly in the runup to that war, and many though not all people in the news media behaved especially badly. Its hard now to recall the atmosphere of the time, but there was both an overpowering force of conventional wisdom all the Very Serious People were for war, don’t you know, and if you were against you were by definition flaky and a strong current of fear. To come out against the war, let alone to suggest that the Bush administration was deliberately misleading the nation into war, looked all too likely to be a career-ending stance. And there were all too few profiles in courage. The war, then, was a big test a test of your ability to cut through a fog of propaganda, but also a test of your moral and to some extent personal courage. And a lot of people in the media failed. Am I wrong to think that this is one reason this tenth anniversary isn’t getting more play? [P Krugman, “Ten years later,” March 16, 2013 5.53pm The conscience of liberal ]

208 「音楽の父」と呼ばれるドイツの作曲家バッハが, イタリアの教会音楽の曲を自分で書き写した楽譜が地元ドイツの博物館で見つかり, バッハがみずからの作曲技術を向上させようと進んだ作品を熱心に研究していたことを示す貴重な資料として注目されています. この楽譜は, バッハが50代半ばだった 1740 年に自分で書き写したもので, 地元ドイツの「バッハ資料財団」が, ことし4, ヴァイセンフェルスという町にある博物館の資料室で発見し, 6, 報道機関に公開しました.  財団によりますと, 楽譜の曲は, イタリア人作曲家のフランチェスコ・ガスパリーニが 1705 年につくった教会音楽で, 同じ旋律を一定の間隔で追いかけるように繰り返す「カノン」の高度な形式が見られます. カノンはバッハが残した多くの作品に用いられており, 見つかった楽譜は, バッハが晩年になってもみずからの作曲技術を向上させようと, 進んだ作品を熱心に研究していたことを示す貴重な資料として注目されています. [バッハ直筆の写譜が見つかる 6 7 8 51 ] http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130607/k10015134691000.html

209 藤田騎手は, 今年の1月に現役を引退した, アンカツこと安藤勝己騎手が, 「オレが走るんじゃないから」という言葉を口癖のように言っていたことを紹介している. その意味するところは, 「走るのは馬で, 勝つのも馬, 自分はその手助けをしているだけだ」ということらしい.

 地方・中央併せて 4464 勝を達成した不世出の騎手にしてこの言葉だ. [小田嶋隆の「ア・ ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明統一球でビーンボールを投げてはいけない http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130613/249623/?P=5 ]

210 私は失敗を覚悟で冒険することが, 僥倖によって定職を得た科学者の道徳的義務とさえ思う. [細谷暁夫「戦後に生まれ, 物理を志して」2011) ]

211 ミンスキー: 若い研究者に対して「あなたはよいアイディアを持っているから, 次の 10 年間 (金銭的に) サポートしましょう」ということを言える人がいないんです. そんな仕事は もうない. 1950年代には, たくさんそういった仕事があったんですがね. 中略― 1952, まだ学生だった頃, ベル研究所で一夏過ごす機会があったのですが, 30年もかからないような仕事には手を出すな」とくり返し言われました. [ 吉成真由美編「知の逆転」(NHK 出版新書, 2012) p 161-2 ]

212 ミンスキー: 集合知能ということを言う人たちはどんな場合にそれが発現されるのかに ついては説明しないのですね. 集合知能は個人の知能を常に上まわるというようなあらっぽい言い方をしたがる. アメリカ人がこぞってブッシュを大統領に選んだときは, もちろん集団が大間違いをしたわけです. 実際に歴史をふり返ってみれば多くの人々が大賛成した場合のほとんどは, 大惨事になるか文化が崩壊するか大衆をうまく説得するヒットラーのような人物が現れるといった悲劇に結びついています. ―中略― 科学の歴史をふり返ってみると叡智というものは「個人知能」によってもたらされているのがわかります. わずか100人の個人が, 知的革命によって西欧の科学というものを形作ってきたわけで大衆の「集合知能」の方は, 逆に科学を何百年も停滞させてきたのです. [吉成真由美編「知の逆転」(NHK 出版新書, 2012) p 185-6]

213 この渡宋船建造の挿話には, 奇怪という以上に, 何とも言えぬ暗さが感じられる. むき出しの絶望が船の形をとって由比ヶ浜に遺棄されている. [堀田善衛「定家明月記私抄続篇」源 実朝 (ちくま学芸文庫) p083 ]

214 ここにいて遠くのだれともつながることのできる情報媒体をわたしたちは手に入れた. けれどもはたしてそれで世界は広がったのか. 子どもまでがケータイやインターネットを駆使できるようになったのに, 皮肉なことにコミュニケーションはどんどん内向し, その圏域はどんどん狭まってゆく. 交信相手はかぎられ, そのかぎられたひとと強迫的なまでにくりかえしくりかえし交信する. 世界を開くはずのメディアを手にすることで, 世界はますます小さく閉じてゆく.... [鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫 2167, 2013, 原本 2007) p123]

215 小さな土地にとてつもない人口密度で生活する. そのなかで町衆たちはたがいのあいだでも, 深入りしないという風を築いてきた. きっとあきれられるだろうが, こんな慣わしもある. 家の前の水撒き, それは共同生活のエチケットである. 中略―そのとき, 隣の家の前まで水を撒けば「お節介」ということになる. 自分の家の前しか撒かなければ, こんどは, 「けち」ということになる. で, 十センチか二十センチだけ隣との境を越えて撒く. これが長い共栄の知恵なのだ. [鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫 2167, 2013, 原本 2007) p181]

216 瀟洒な高級ブティック, 現代建築家が腕を競い合った実験的なファッションビルの居並ぶ表参道にも, 同じような建物を見つける. ある国際ブランドの店なのだがインテリアの裏側が窓際に露出しており, 脇の通りからは, 店員が箱詰め作業をしている姿やスタッフ室で休憩しているすがたが丸見えである. 訪れた客をめあてに, 内側の壁面や陳列台はさぞかし立派に内装されているのだろうが, 外からの眺めは無惨である. 中略―そこには他者のまなざしへの想像力が... あの窓際の風景に映しだされているのは, じぶんの仕事, じぶんの顧客にしか配慮しない内向きの姿勢である. 利害を共有しない他のひとびとにそれがどう映るかへの想像力の欠如である. 他者への想像力を欠いたその背中を他者たちにさらしているのである. そうした背中が, 「靖国参拝」をはじめとする国際問題への対応にもあらわれているのではないだろうか. [鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫 2167, 2013, 原本 2007) p240]

217 金で買ってはいけないことがあることをだれもが心得ている社会にしか「品位」はない. [鷲田清一「京都の平熱」(講談社学術文庫 2167, 2013, 原本 2007) p243]

218 インドにはまた, 伝統的に, いわゆる思想の自由があった. 思想の自由は, 思考・言論・発表. 信仰などの自由につながる. どんな異様なものも, ここでは異様でもなんでもなく, 珍しくさえない. こうした人間の精神の自由を, インド人は当初から現在に到るまで守り続けてきており, その自由を, 他の手段を持って威嚇し弾圧するということは, 皆無といってよいほど少ない. すなわち, ここには, ソクラテスが毒杯をあおぎ, イエス・キリストが十字架にかけられ, マホメットがヘジラを余儀なくされたというような例, あるいは焚書や禁書, 宗教 裁判や宗教戦争といったものの, インド人のあいだには, かって存在しない. 中略― 最後に, 1203, ヴィクラマシラー寺院がイスラーム軍によって徹底的に破壊されて, 仏教活動はインドの地に消滅する. [三枝充悳「インド仏教思想史」(講談社学術文庫 2191) [原書 1975] p12-7 ]

219 グループで, 高い成長性と収益力を誇る日本最強の小売りセブンイレブンを抱えるセブン&アイ. その持てる力を, コンビニ以外の分野では, 十分に生かせていないように見える. 一番の理由は, 鈴木氏自身も語るように, セブン-イレブン・ジャパンは「ゼロから生み出したもの」だが, ほかの小売り事業は, 既にある成功体験や基盤の上に成り立っているからではないか. 鈴木氏は日本的なコンビニを自ら発明したといえる. だからこそ, その意思と哲学は末端にまで行きわたり, ナンバーワン企業でありながら, イノベーターであり続けられる. これに対して, スーパーとしてかつて日本一の利益を誇った強烈な成功体験を持つヨーカ堂を変えるのは難しい. 「過去に捉われており, (改革の)スピードが遅い. 意識改革はまだまだ足りない」と, かつて筆者の取材に対して鈴木氏はこう語ったことがある. そごう・西武も, それぞれが輝いた時代を経験しているだけに, 同様に変革のハードルは高くなる. [山崎良兵「セブンイレブンの強さは, なぜほかの事業で生きないのか, 40 周年で浮かび上がる グループの課題」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131120/256138/?P=3&mds]

220 筮占が後世では庶民の手のとどく占いになるというひろがりをみせたのにたいして, 亀甲を灼いてひびを読みとるのは秘法といってよく. 門外不出の文献によらなければできないため, 伝承力が弱く戦国時代には消滅してしまった. [ 宮城谷昌光「子産」講談社文庫版上 p11]

221 私の肉体を借りて誰か別の人が曲書いているような気がする. [ 松任谷由実「ルージュ の伝言」(角川 1983)]

222 われわれは, ネットと並立させる形でテレビを見るようになった. そして, ネットを立ち上げながらテレビの画面を見て, ネットの中に思い思いのコメントを書き込んでいる視聴者は, 20 世紀までの受け身の視聴者と比べて, より露悪的で, 残酷だ. そして, 画面の中の人間に対する敬意をほとんど持っていない. ということになると, テレビに映る人々は, 臆病になる. それに合わせて, 視聴者は, より激しくアラ探しをするマナーを身につける. かくして, 社会全体のマナーが, よりクレーマー的になり, ストーカー的になる. 対抗上, 企業や公共機関の態度は, より臆病になり, 苦情耐性が低くなり, 防衛的になり, 事なかれ主義に傾く. こうして考えてみると, 2000年を過ぎてからこっち, ささいな失言で大臣が失職することが続いているのは, 決して偶然ではない. われわれは, 生贄を求める社会を形成しつつある. 「心から謝罪しているなら, この地雷原の中を走り抜けて見せろ」 といわんばかりだ. [小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」∼世間に転がる意味不明「謝罪した いなら地雷原を走れ」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20131219/257316/?P=1]

223 ある将に欒書は批判された. 「あなたは多数になぜ従わぬのか.あなたの下にいる11人の将のうち,会戦を望まぬのは三人だけではないか.戦いを欲するものが多かったのだ」 すると欒書はいった. 「どちらも善い意見のときに多数に従うのだ. 善い意見の持ち主は多数のなかの主である. あの三卿は,その主にあたる.三人で十分多数であると言える.それに従って,どこが悪いか」 快弁というべきものである. —善鈞しければ衆に従う. この明言は,多数決をはきちがえる者への箴言になるであろう.[宮城谷昌光「子産」講談 社文庫版上 p102-3]

224 名君とは何であるのか. 生涯, 恐れつづける人が名君であると子駟はおもっている. 端的にいえば, 天の高さを恐れ地の広さを恐れ人としてのおのれの無力さを恐れる.その無力から踏みだしていく行為が,天の道に地の理にかなっているかという意識を持ちつづけているがゆえに恐れは尽きることがはない.[宮城谷昌光「子産」講談社文庫版上 p261]

225 とはいえ、わたくしどもが「オーラ」と呼んでいるものの正体は、その「オーラ」の発生源であるとされる人間が直接的に放射している物理的な何かではない。むしろ、当人の周囲にいる人々が振り返ったり遠巻きに立ち止まって眺めたりする時に起こる波紋のような人波の変化を、われわれが「オーラ」として認識しているのだと思う。中略私が、何を言おうとしているのかというと、私たちが視覚から得る情報は、言葉で伝えることのできる範囲をはるかに凌駕しているということだ。 同じことを別の方向から説明すれば、「私は自分の目で見たことをうまく説明できない」ということだ。 「私の世界観のかなりの部分は言語化できない印象や気分によって形成されている」とい うことでもある。中略

が、上で述べたことに沿って言うなら、他人に向けてうまく説明できない部分にこそ、その人間の本当の信念が宿っているわけで、その意味では、仮に、私の真意が読者に伝わらなかったのだとしても、私の側が説明しようとしたという意図だけでも伝われば半分は成功なのである。

中略要するに、論理はレシピのためのツールであって、料理のための基礎ではないということだ。

中略どうしてこういうことが起こるのかというと、言葉の運用に自信を持っている人間は、言葉で他人を動かせると思っている人間でもあるからだと思う。つまり、「ことばの力」を信じている人間の言葉は、うかつに信用できないということだ。

 でも、人間は、言葉で動く生き物ではない。

当然だ。 こんなことは、言語芸術に関わっていることを自負する人間なら、一番最初に理解していなければいけないことだ。[小田嶋 , 「論理は非論理的に敗北する」2013 11 29 ()] http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20131128/256460/?n_cid=nbpnbo_mlt&rt=nocnt

226 まず、犯人は PayPal に、従業員を装って電話をかけ、氏のクレジットカードの番号、下4桁を聞き出した、という。次に、GoDaddyに電話して、クレジットカードをなくしてしまったが、下4桁は覚えている、と言った。GoDaddyの担当者は、本人確認に必要なのは下6桁なので、断るかと思いきや、残りの2桁を「当てる」ことを犯人に許した、というのだ。 それも、正しい番号になるまで試すことを犯人に許した、というのだから驚きだ。

これが事実だとすれば、技術的なハッキング方法は用いられておらず、人の心の油断につけ込むことで、情報が盗まれたことになる。このような手口は、ソーシャル・エンジニアリングと呼ばれる。[「約 500 万円の Twitter ユーザー名「@ N」が盗まれる その驚きの手口とは?NewSphere 2014Jan31. http://newsphere.jp/world-report/20140131-2/]

227 考えてみれば、あれらの音楽は現代に生まれた真の奇跡と言えるかもしれない。クラシック業界にある問題のひとつとして、能力のある作曲家は(多くの)演奏家が演奏したくなるような曲、聴衆が聴きたいような曲を書こうとしない、というのがある。そりゃそうなのだ。クラシックの作曲家というのは、少なくともオーケストラ楽器を用いた作曲については圧倒的な知識と技量を誇る。あらゆる技法を分析し自家薬籠中の物とできるような人が、過去の作品の焼き直し・パッチワークを作ることに甘んじて満足できるわけがない。感動的に盛り上げるための和声進行も知っている、恐怖を覚えさせるためのリズムも知っている、きらめきを感じさせるための管弦楽法も知っている。つまらない、つまらない。使い古された書法も聞き飽きた調性の世界もつまらない。面白いものを、自分だけの新しい音楽を書きた い。そういうわけだから、自分の作品として、あえて過去の語法に則ったスタイルの音楽を書く人間は、現代にはまずいない (そこからして胡散臭かったわけだ)。往年のクラシック作品みたいに聴いていて素直に心の動くような書法の音楽は、たとえば映画やアニメ、ゲームのBGMとして「発注」されない限り、なかなか生まれない。

 新垣氏のような作曲技術に長けた人が自発的にあのようなタイプの作品を書くことは不可能だった。なぜロマン派,ぺンデレツキ風、みたいな書法の制約を自ら課すのか、という問いに答えようがないからだ。自分はもっと面白いことができるはずなのに。しかし、発注書があれば話は別だ。なぜそんな制約を課すのかって? そういう発注だからだ! わかりやすい。 書法のことを置いておいても、現代社会において80分の大交響曲が生まれるというのはまずありえない。交響曲に必要とされる精緻なスコアを書くための知性と、交響曲を書こうという誇大妄想的な動機がひとりの人間に同居するというのは相当に考え難い状態だからだ。

 個人的には、こういうプロデューサーつきのスタイル、現代のクラシック業界の停滞を吹き飛ばすひとつの手段として広まっても良いんではないかとさえ思える。制約があってこそその枠内で創意工夫を凝らして良いものができることだってある。

 佐村河内氏の誇大妄想的なアイディアを新垣氏が形にするという、この特異な状況下でしか生まれ得なかったあれら一連の楽曲とその魅力を、「全聾の作曲家が轟音の中で」云々よりよほど真実に近いだろうこの (小説より奇なる) 物語とともに味わい、よりよく理解し、より正しく評価すること。それが、取りうる最も適切な態度ではないかと思う。[森下唯, 「より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守 (新垣隆) 騒動について~2014Feb14 http://www.huffingtonpost.jp/yui-morishita/samuragouchi-niigaki_b_4753304.html]

228 江戸末期の文学の水準が低かった点についていえば、趣味のよさ自体が問題にされ、その趣味が生み出す作品などさして問題にされなかったということかもしれない, 平安時代は実にみごとな作品を生み出したから、あの時代は誰でもみな趣味がよかったようについ考えがちであるけれども,洗練された趣味というものは、本来,誰でも身につけられる性質のものではない.平安期の宮廷文化と江戸の町人文化とは、どちらも洗練された趣味を重んじ、これを身につける手段が細かく工夫され,広く行われていたという点で、かなりにていたのではないかという気がする. [ E. サイデンステッカー「東京 下町山の手 1867-1923(安西徹雄訳 講談社学術文庫 2004) p38]

229 こうして,トラヤヌスは「皇帝の自由」と「ブルトゥス的自由」を融和させたのであり,政治思想の面でも元老院議員達が皇帝トラヤヌスに反対する理論的支柱は失われたのであった .—中略最も現実政治の場を離れれば、一人の人間が強大な権力を持つ皇帝政治 と、王政を否定した共和政的自由の観念とが.思想として矛盾なく融和できるはずはなかっ .そのことは,かの小プリニウスがトラヤヌス帝を讃えるつぎの『頌歌』の一節の持つ不自然さに表れているといえよう, 陛下はわたくしたちに自由であることを命じたまうし、私たちも自由でありましょう.[ 南川高志「ローマ五賢帝」「輝ける世紀」の虚像と実像 (講談社学術文庫, 2215) p98 ]

230 学者達が五賢帝時代の政治的安定の秘密と考えてきた「養子皇帝制」なるものは, 実際には見いだし難いものであることが明らかになった. 平和に見えるこの時代でも皇帝位継承は常に紛糾し,現実の力関係の中で後継者は決定した. 静穏のうちに帝位が継承された唯一のケースは世襲に等しいものであった.結局、この時代の皇帝の養子縁組は,世襲する実施がないための擬制的手段にすぎなかったのである. [ 南川高志「ローマ五賢帝」「輝ける世 紀」の虚像と実像 (講談社学術文庫, 2215) p229 ]

231 好例の元日節会は取りやめとなったのだが, 参入した公卿の見参簿を一条に奏上しようとしたところ, 公卿達は道長を残して退出してしまったというのである. 明らかに公卿たちの失態なのであるが、道長は,これは儀式を主催する自分が,それに相応しい人間ではないからであろうかと、不審に思っている. この弱気な態度もまた, 道長の本質の一端を表しているのである. [倉本一宏「藤原道長「御堂関白記」を読む」(講談社選書メチエ 564, 2013) p47 ]

232 この十二日条における興福寺別当定澄の脅し(十五六日間大衆可参若無事定義間、候門下並大和守頼親宅辺,問案内,可致悪行者)に対する道長の対応も同様である.道長は脅しにかかった定澄に対して、道長は逆に脅している(... 家辺如然有事時者,何吉事有哉,雖僧綱難在職卦歟,可能思量者也)—中略このような剛胆なトップに率いられた公卿社会というのは、やはり後世,聖代として仰がれることになるのも,いわれのないことではないの であった.[倉本一宏「藤原道長「御堂関白記」を読む」(講談社選書メチエ 564, 2013) p83 ]

233 道長の時代には、『御堂関白記』だけでなく,同時代に書かれた実資の『小右記』,行成の『権記』という,道長の近辺に生きた二人を含めた三種の日記が存在した.—中略摂関政治と王朝文化の最盛期について、われわれはこれらの優れた日記によって、正確かつ精密に知ることができるのである.これはたとえば,前後の兼家摂政期や頼通政権期と比較すると、大きな違いであるが、これは決して偶然ではない.後世の人々が、道長と一条天皇を中心とする時代に関する史料を,準拠すべき先例として意識的に残してきた,あるいは書写してきた結果なのである.[倉本一宏「藤原道長「御堂関白記」を読む」(講談社選書メチエ 564, 2013) p243-4 ]

234 3 番目の理由は,「調査捕鯨」という枠組みでわが国の政府が展開しているやりざまの説得力の無さだ

 クジラがわが国にとって重要な資源なのだとしても, こんな恥ずかしい屁理屈を掲げて守らねばならないのだしたら,この戦略立案自体が, 国民にとっての悲劇だと思う.

 太平洋岸の漁民にとって, クジラ漁が伝統的な漁法であり, その彼らにとって, クジラ料理が大切な食文化である点は、どんなに強調してもかまわない. なんとなれば, これは, どこに出しても恥ずかしくない真実だからだ

 であるからして, 沿岸のクジラ漁がわが国の伝統である旨を強調して, 沿岸の商業捕鯨の存続を訴えることは, そんなに無茶な話ではない

 しかしながら, 捕鯨砲を装備した大型の捕鯨船が, 船団を組んで南極海にまでクジラを獲りに行く漁法が, わが国の伝統であり, 文化であるというお話は, 非捕鯨国には理解されない

 捕鯨国の国民である私の頭で普通に考えても, 遠洋捕鯨が営利目的でないようには思えないし, 公海上で展開されている漁業が自然からの収奪でないというふうに考えるのはむずかしい

 年間に何百頭ものクジラを捕獲するその近代的な船団漁業を,「商業」ではなくて,「科学調査」だとする論陣の張り方にも, 疑問を感じざるを得ない. わたくしども日本国民は, 国際社会の中で, 誠実な国民だと思われいてるはずだ

 実際, 様々なビジネスの現場で, わが国の国民の正直さと勤勉さは, 高く評価されている. その信用を「調査捕鯨」は, 毀損していると思う

「地球の裏側まで出かけて行って, 毎年何百頭もクジラを殺すのが『調査』なのか?

「クジラの肉を売るのが『科学』なのか?

 これらの質問に対して, 私は, 説得的な回答を案出することができない

 その意味で, 国際司法裁判所の判決は, まっとうなものだった. 当面は, その判決に従うのが、正しい選択だろう. [小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」クジラの凱歌 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140403/262310/?n_cid=nbpnbo_mlt ]

235 私は, キリスト教徒でもないし, クジラに対して宗教的な感情を抱いているということもない. ただ, 子供の頃から食い入るように見ていたBBCの自然番組に洗脳されている気味はあるかもしれない. その自覚はある

 してみると, クジラ問題に関しては, 彼らの側の文化的な優位性が, 私のような非国民を育んでいるというふうに見ることもできるわけだ

 この先, 日本から, 海外の子供を洗脳するに足る魅力的なコンテンツを作るクリエイターが出てくれば, 先の勝負はまだわからない

 クジラを食べたことがない, 若い人たちに期待することにしよう. [小田嶋隆の「ア・ピース・ オブ・警句」クジラの凱歌 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140403/262310/?n_cid=nbpnbo_ml 4/4, 2014]

236 ただでさえ, 新聞のような巨大な読者層をかかえる媒体に向けてコメントを提供する仕事は, 巨大なリスクを伴っている. 読者の多くは, 鵜呑みか, 毛嫌いか, どちらかの読み方しかできない. 新聞というのは, そういうメディアなのだ

 とすれば, 新聞読者が鵜呑みにできる一口サイズの甘辛なご意見を提供する自信を持てない時は, 沈黙を守っておくに如くはないのである

「ああ, この人は女子力でここまでやってきた人だったんだな」

 というのが, 偽らざる感慨だったわけだ

 STAP細胞の成否についての考えはここでは述べない

 理由は、学問的な部分について, 私自身がきちんとした評価眼を持っていないからでもあるのだが, それ以前に, あの会見自体が, STAP細胞をめぐる経緯とは無縁なイベントだったように思えるからだ

『っていうか「女子力」って,「バカ男子動員力」みたいなもんだろ?

文系的な言い方で表現するなら,「実力」以外のすべての能力は「虚力」であるはずで,「女子力」もまた, あまたある「虚力」のうちのひとつだと考えざるを得ないのであって, 要するに, そんなものは目くらましの手練手管に過ぎないということだ

 では「実力」とは何だ, と問う人がいるかもしれない

 よろしい. お答えしよう

 「実力」とは、ある立場にいる人間が, その立場なり地位なりを防衛するために当然備えていなければならない能力のことだ. 別の言葉でいえば、業務を遂行する能力それ自体だ. 畳屋の場合なら良い畳を編む能力ということになるし, コラムニストであれば文章力が実力に相当する. 学生であれば学力だし, 研究者なら研究力や発見力(あるいは論文作成能力)が, 彼らの真の「実力」ということになる

 ところが、世の中が複雑になってくると, 「業務遂行能力は必ずしも高くないんだけど, コミュニケーション能力が図抜けていて, その人脈形成力と上司たぶらかし能力でまんまと出世しています」みたいな社員が影響力を発揮していたり, 「研究はからっきしなんだけど, お役所から予算をふんだくってくる能力が水際立ってるんでどうしても研究室から手放せない人材」が幅をきかせるようになる

 ライターの世界でも, 「文章はろくなもんじゃないけど, なぜなのか仕事が絶えない書き手」は, 少なくない. 彼らは, 虚力を備えている. 名前はいちいち挙げないが, われわれは, そういう虚力の持ち主に, 圧迫されている. 実に憂慮すべき事態だ

 あの会見での印象だけでモノを言えば, 小保方さんを学問の世界に導いたのは, AO入試であり, 彼女を研究のエリートコースに乗せたのも, 人脈がものを言う研究室人事の政治的文脈だったのではないか, と思わせる. ということはつまり, 学力や, 研究力や, 論文作成能力よりも, プレゼン能力や, 説明能力や, 女子力が高い評価を獲得してしまうような現場環境があったのではないか, ということだ

 これは, 不健康なことだ. [小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」あれは「女子力」のイベントだ った http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140410/262713/?n_cid=nbpnbo_mlt&rt=nocnt 4/11, 2014]

237 ヴァーチャクナーギー「では,いったい,ブラフマンの諸世界は何の中に織りまぜられているのか」と. そこでヤージュニャヴァルクヤが言った

「ガールギーよ,問いすぎてはならぬ.そなたの首を落とすことのないようにせよ.そなたは問いすぎてはならぬ神格に,問いすぎている.ガールギーよ、問いすぎてはならぬ」と. [ 岩本裕編訳「ウパニシャッド」ブリハッド=アーラヌヤカ=ウパニシャッド 3 p221 ]

238 インターネットとテレビ・ラジオ, 公共放送とケーブルテレビはどれも, 惨事から得たすべての情報を先を争って「速報」の名で配信した. 政府が発表すれば受け売りした。誰も疑う余地がなかった. 知りたいという意志より, 知ってもらおうという意志が勝った

 —中略

エドワード・マーロウは言った. 「他人を説得するためには, 信念を与えなければならず, 信念を与えるためには, 信頼を与えなければならない. 信頼を与えるためには, 正直でなければならない」 

メディアと大衆がお互いを信頼できれば理想的だ. 信頼できるメディアと, これを支持する大衆がともに行動する社会は, よりよい価値へ向けて踏み出すことができる. そして私たちはよりよい価値を見いだすことができる. 見いだすべきだ

今も珍島ではニュースが報じられている. 私たちは希望を捨ててはならない. メディアは, その希望を売り飛ばす露店に転落してはならない. だからどうか今日も「最善を尽くすことを約束して」ほしい. 売りやすいゴシップではなく, 誰もが必要な真実のために. 是非, 殻を破ってほしい. [ミン・ヨンジュン「旅客船沈没事故で恥をさらした醜悪な韓国メディア」 2014.4.19 http://www.huffingtonpost.jp/yongjun-min/korea-media_b_5172148.html]

239 日々の生活で味わう小さな出来事における日中のギャップはとてつもなく大きい. 特に,私が最も強く感じるのは,小さな日用品やインフラの質の埋めがたいほどの格差だ.

中略— 10万円の高級輸入ワインはよく目にするのに,「日本に普通にある,ちょっといいもの」は中国には存在しないのである。

中略— 

洗面台の水も出ないことが多いので,ウエットティシュも持ち歩かなければならない.中国の女性がハンカチを使って手を拭いているシーンを私は見たことがない. —中略— 

 よく「中国人はマナーが悪い」といわれるが,自分の実感でいえば,マナーは社会を支えるインフラの質に大きく影響される面もあると思う. 水道の水が出ないから手も洗わないし, いつもテーブルが汚れているから,自分も汚く使っていい, と思ってしまう. —中略— 

 中国人が反日的な行動を取ると,日本人の一部は強烈なアレルギー反応を起こすが,反発すればするほど,中国側から見れば``反日というカードが「まだ効いている」証拠になる. —中略コンビニではいれたてのコーヒーが100円で飲めて, 商品にはホコリがかぶっていない.自動販売機はすべてのボタンにランプがついて機能し,おつりもきちんと戻ってくる.[中島 恵「再来一杯中国茶」中国の「反日カード」を,日本の「日常」で無効化しよう 2014425() http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140421/263214/?n_cid=nbpnbo_mlp]

240 量子化学計算の分野では, 大きく, かつ精密な ab initio 計算で実験を凌駕するような分 子の構造や反応についての良い結果がどんどん得られるようになって来ている.しかし,その計算結果について論理的な説明ができなければ, 大きなマシンのボタンを押したのと同じことになってしまう. それは技術の一つの進歩に過ぎず, サイエンスの成果ではない. [細矢 治夫「ある数理化学者のつぶやき」Mol. Sci. 1 A0013 (2007)]

241 天下統一戦とは.極端にいえば,織田信長以外の武将は誰も考えなかった「非常識な」戦争だった. —中略— 

 集権化とは,戦国時代末期になってはじめて信長が意識的に推進した政策だったことが重 要なのだ.天下統一とは、天下人率いる武士団の精神構造も含めた価値観の転換があってなしえたもので,信長や秀吉の改革については奇跡的とさえいえるのではないか

中略— 

 それならば,なぜ信長ひとりは天下統一を目指したのだろうか.これまでの研究史を紐解いても,自明のごとく天下統一を戦国時代のゴールとして来たから,一切解答は得られない.頑迷といってもよい「常識」に遮られて.私たちは信長の政治改革の本質から目を閉ざしてきたのである.[藤田達生「天下統一信長と秀吉がなし遂げた「革命」」中公新書 2265 (2014) p12-3]

242 こうして, 大きく報道された通り魔事件は模倣犯を生み出す。 過去にも, このタイプの突発的な犯罪が, よく似た犯行を招き寄せた例は少なくない。 事件が集中的に報道されることは、被害に直面するかもしれない人々に対処法を学習させる効果よりも、犯行に誘引されるタイプの人間に啓示を与える意味の方が大きいのかもしれない. [小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」わたしたちは握手をあきらめるのか ] http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140529/265759/?n_cid=nbpnbo_mlt May 30, 2014

243 エピクロスは, 彼のいう賢者は未来の予想や心配をしないと言っている. [モンテーニュ 「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 3 p26]

244 精神は何でも手当たり次第に利用する. 精神にとっては,誤謬も, 夢想も, われわれを守り, われわれを満足させる格好の材料である.[モンテーニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波 文庫) vol 1 chapt 14 p102]

245 だれでも長い期間にわたって不幸なのは自分が悪いからにほかならない. [モンテーニュ 「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 14 p119]

246 船頭は風を、農夫は牛を、兵士は負傷を、牧人は羊を語るだけにとどめよ. —中略— 

ごらんなさい.カエサルが橋梁や戦具を作ったときの工夫をわれわれにわかってもらうために、どんなに長々と雄弁をふるっているかを. また,それと比べて、自分の専門の仕事や, 勇気や、戦略を語るときにはどんなに簡潔であるかを.[モンテーニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 17 p135]

247 鈍重な牛は鞍にあこがれ、小馬は耕作をしたがる. [モンテーニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 17 p136]

248 あんなにたくさんの他人の脳味噌を、しかもあんなに強力で偉大なのを受け入れるには、本人の脳味噌が他人のそれに席を譲って、押しつぶされ,縮まり、小さくならなければなるまい.(とわれわれの王女様方の最も偉いお方が、ある人のことを私に、こうおっしゃっ .) [モンテーニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 25 p252]

249 あのスュラクサイの幾何学者は瞑想の途中で、その瞑想を国家の防衛の役に実地に応用せよと命ぜられると、たちまちのうちに、恐るべき武具を作って、考えられないほどの効果をあげた.けれども彼自身は自分の作ったものを軽蔑し、自分の学問の品位をけがすものとして,あんなものはほんの手なぐさみの玩具に過ぎないと考えていたそうである. [モンテー ニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 25 p255]

250 ちょうど,鳥がときどき穀物を探しに出かけ,これを味わいもしないでくちばしにたくわえてきて,雛どもについばませるように,われわれの先生方も,書物のなかに知識をあさって,それを口の先にのせてきて,吐き出し.風に撒き散らすだけである. [モンテーニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 25 p257]

251 メディアは、私刑を商業化しつつあるのだ。

「会見」が注目を集めている理由のひとつは、それが,「公開処刑」のニュアンスを含んでいるからだ。 一時期、連発された食品偽装関連の謝罪会見も,コロシアムの中に人間を立たせて大勢で 石を投げるみたいな,制裁会見そのものだった。 ということは,われわれは,磔獄門の時代の感覚に戻りつつあるのかもしれない。中略— 

昭和30年代以降,会見場にテレビカメラが入ることで,会見の性質は若干「公開処刑」の色彩を帯びるようになる。 [小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 「ネタ動画」は全てを越える ] http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140703/268055/?n_cid=nbpnbo_mlt

252 われわれは次のように言うことを知っている.「キケロがこう言った.これがプラトンの教えだ.これがアリストテレスの言葉だ」と.けれども,われわれ自身はいったいどう言うのか.われわれはどう判断するのか.われわれはどう行動するのか.あんなふうになら鸚鵡だって立派に言えるだろう. [モンテーニュ「エセー 1」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 25 p259] 

253 われわれは太陽の光線から与えられる光だけで満足しなければならない.目を上げてじかにもっと多くの光を得ようとする者は、傲慢の罰として目が見えなくなっても驚いてはいけない.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 32 p11] 

254 誰かがソクラテスに向かって,誰それは旅をしても少しもよくなっていない,と言うと, 「そうだろうとも.あの人はあの人自身を一緒に持って出かけたのだから」と言った.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 32 p52] 

255 ユリアヌス皇帝はある日廷臣たちから裁判の公正なことを讃えられると,「もしもこの称讃が,私の行為がまちがっているとき思い切って非難し叱責してくれる人の口から出たものだったら、私も得意に思ったろう」と言った.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 42 p100] 

256 何ごとにも賛否はいくらでも言えるものだ.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 47 p109] 

257 プラトンの中でティマイオスはこう言っている.「われわれはでたらめに,無思慮に理性を働かす.なぜなら,われわれの理性も,われわれと同様に,偶然と密接なかかわりをもつからである.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 47 p136] 

258 前後の順序は,書くときにも,話すときにも,何ら上下の意味をもたないことは,書物の中にも明らかに見られる.たとえば,彼らは平気で,「オッピウスおよびカエサル」とも, 「カエサルとオッピウス」とも言うし,また,「私ときみ」でも,「きみと私」でもかまわない

[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 49 p163] 

259 人の正体はどんな行動にも現れるものである.ファルサロスの戦いを指揮するときに示されたカエサルの心構えは,遊惰な恋愛の遊びのときにも同じように現れる.馬の値打ちは,馬場で走っている姿ばかりでなく,並足で歩いている姿から,いや,厩で休んでいる姿からも判断される.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 50 p169] 

260 スパルタの王であったアルキダモスが,トゥキュディデスに向かって、ペリクレスとおまえではどちらが角力が強いかとたずねたとき,「それは何とも言えません.と申しますのは,私が彼を投げ飛ばしても、彼は観衆に,自分は倒れなかったと思い込ませて,褒美をせしめてしまうのですから」という返事を聞いて,驚かずにはいられなかった.[モンテーニュ 「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 51 p174] 

261 彼らは不徳には不徳の時間をさき.神様には神様の時間をさく.まるで勘定の清算か相殺をするみたいだ.こんなにも違う行為を,こんなにも一貫した同じ調子で続けていて,一方から他方へ移る境目にも,何らの中断も変化も感じないというのは,奇蹟というほかない. [モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 56 p198] 

262 神に祈る秘密の願いを平気で明るみに出せる人はほとんどいない.[モンテーニュ「エ セー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 56 p207] 

263 われわれは万事がわれわれの意志に従うように願ってはいけない.知恵に従うように願わなければならない.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 1 chapt 56 p208] 

264 変更できない考えは悪い考えだ.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 2 chapt 1 p218 滑稽劇作者プブリウスの次の有名な句

265 ,わがマルセーユでは,死を急ぐ者のために,毒人参で作った毒薬が国家の費用で用意してあった.それを用いるには,まず,元老院にあたる六百人の者から,自殺の理由を正当と認められなければならなかった.役人の許可と正当な理由がなければ,自分の身体に手をかけることが許されなかったのである.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 2 chapt 3 p270] 

266 私は,幼い精神を名誉と自由に鍛えようとする教育において,あらゆる暴力を非難いたします.厳格と強制には何かしら奴隷的なものがあります.また,理性と知恵と巧妙によってなしえないものは,暴力によってはけっしてなしえないと考えます.私はそういうふうに育てられました.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 2 chapt 8 p323] 

267 説教と説教者は別物であるから,ブルートゥスを彼自身の著書で見ると同時に,プルタルコスの中でも見たいと思うのである.彼が戦闘の当日,全軍に向かってした演説よりも,その前日に,天幕の中で.親友の一人に向かってした話をありのままに知りたいと思うし, また,彼の書斎や居間でしたことを,広場や元老院でしたことよりも知りたいと思うのである.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 2 chapt 10 p369] 

268 私は極めて単純な歴史家か,さもなければ,きわめてすぐれた歴史家を好む.単純な歴史家は,自分のものをまぜるだけの力がなく,知識に入って来るすべてのものを丹念に,懸命に蒐集し,あらゆる事柄を選別も撰択もせずに誠実に記録するだけで,真実を見分ける判断はすべて読者に一任する.—中略もう一方のきわめてすぐれて歴史家というのは,知る値打ちのある事柄を選択肢,二つの報告のうちからより真実らしいほうを選り分けることのできる人々である.国王方の境遇や性格から,彼らの意図を推論し,彼らの口にふさわしい言葉を言わせる人々である.彼らが自分の確信でわれわれの確信を左右する権威があると思うのも当然である.けれどもこれはめったにない能力である.この単純な歴史家とすぐれた歴史家との中間にある歴史家は (これが最も普通なのだが) すべてを台なしにする.[モンテー ニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 2 chapt 10 p372] 

269 ソクラテスは,彼の顔つきの中に何か悪徳への傾向があるようだと言った人々に向って,本当はそれが自分の生まれつきの傾向なのだが,修養によって矯正したのだと言った.[モンテーニュ「エセー 2」原二郎訳 (岩波文庫) vol 2 chapt 11 p394] 

270 The Life series is fantastic, but it comes in two versions – this one, narrated by Oprah Winfrey for the US market; and the original version as narrated by the naturalist David Attenborough. 

While the cinematography remains unchanged, Oprah’s narration lacks the depth that Attenborough’s years of experience as both naturalist and narrator brings to the table. I strongly recommend waiting for the US release of the original BBC version, narrated by David Attenborough. [Life customer review by Darren Meyer (Saint Paul, MN USA) in Amazon] 

271 The path of nature and of truth is narrow; but it is simple and direct; the devious paths are numerous and spacious; but they all lead to error and destruction, [Robert Jackson, “A Systematic View of the Formation, Discipline, and Economy of Armies,” (John Stockdale, London, 1804) p136 Google eBook ] http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Jackson_(surgeon ) for R Jackson. 

272 But more important, someone, somewhere in a garage is gunning for us. I know, because not long ago we were in that garage. Change comes from where you least expect it. The telegraph disrupted the postal service. Radio and television shook up the news industry. Airplanes ended the age of ocean liners. The next Google won’t do what Google does, just as Google didn’t do what AOL did. [“The New Gru ̈ndergeist’ Google Europe Blog Posted: Monday, October 13, 2014 (Eric Schmidt, Google’s chairman, was in Berlin today)] http://googlepolicyeurope.blogspot.jp/2014/10/the-new-grundergeist.html

273 The point in all these examples is that the nature of modern core mathematics must be much better understood to even see the problems. And if the problems are not recognized and addressed quickly, then—in the United States anyway—core mathematics may well be marginalized, and the mathematical Golden Age that began in the twentieth century will end in the twenty-first. 

The big question is: Why would marginalization of the core be a problem, if one is not particularly interested in the subject itself? In fact, core mathematics provides a rigid skeleton that supports the muscles of science, engineering, and applied mathematics. It is relatively invisible because it cannot interact directly with the outside world; it grows slowly; and it would not cause immediate problems if it stopped growing. Premodern mathematics and contemporary mathematical science, on the other hand, are more like exoskeletons: in direct contact with reality but putting strong constraints on size and power. The long-term consequence of mathematical osteoporosis is that science would have to go back to being a bug! [Frank Quinn. “A Revolution in Mathematics? What Really Happened a Century Ago and Why It Matters Today,” NAMS 59 31 (2012).] 



274 あるいは,グローバルなスタンダードで評価すれば,高倉健は大根役者であったのかもしれない。 

が,私たちの国に,演技をしない役者が評価された時代があったことを,私たちは忘れるべきではない。 

誰もが,感情を押し殺し,自分の足もとを見て耐えていた時代,たしかに,高倉健は名優だったのだ。 

たやすく激高し,なにかにつけて声を荒げる政治家を見るにつけ,そう思う。[ 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」さらば、沈黙の俳優 2014/11/21 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20141120/274090/?n_cid=nbpnbo_mlt&rt=nocnt

275 日本人なら,このオランダ塀の場合,板塀か生垣ぐらいで済ませるであろう.海上から艦載砲の砲弾が飛んでくるなどということは想像もしないし.たとえ想像できたとしても, そのときはそのときでお上がなんとかしてくれるだろうと思ってしまう.それが,健康な常識的日本人というもので,なまじい防衛の危機意識を煽ったりすれば私どもの民族はかえって気狂いしてしまい,自他を傷つける. [司馬遼太郎」肥前の諸街道」(街道を行く 11) p73] 

276 思わず目を疑ったが,女優の松たか子が妊娠を発表したことを受けて,「松たか子妊娠『最大の稼ぎ時に大きな損失』と関係者肩落とす」(NEWS ポストセブン)というえげつない見出しを見かけた。「女性が活躍している社会」を渋々理解しても,「女性が活躍できる社会」を作ろうとはしていない人たちが数多いることを教えてくれる。 [武田 砂鉄「「とはいえ, ......」で作られ続けるテレビ (「ほんとはテレビ見てるくせに」 http://nkbp.jp/1zECadu http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141208/274883/?n_cid=nbpnbo_mlt

277 もっと言えば,私は,「甲子園」で開催される高校野球の大会を見る度に,野球を少し

きらいになる.

 というのも, 野球という文化のある部分が,まぎれもなく甲子園に代表される前近代性に

よって支えられていることに思い至らずにはおれないからだ.

 泣きながらファウルグラウンドの土をシューズケースに詰める甲子園物語ロールプレイ ,ドラマチックな苛酷さを演出するべく決して改善されない理不尽な競技日程や,「球児」

というフィクショナルな人格(坊主頭で攻守交代の度に全力疾走する少年)を英霊の似姿と

して保つための様々な反ファッション的締め付けや,一年365 日練習するブラック企業ライ

クな部活の建前や,「チーム一丸」という全体主義の陰で展開される伝統のいじめや,「規律」

の名において正当化されるスポーツとはほど遠い上意下達の軍隊秩序や,「教育」という美

名を利用して強要される応援ツアーや,それらに連なる野球利権の数々が,どれほど野球と

いうスポーツの美しさを毀損していても,ひとたび人々の心に物語を紡ぐ装置として動き出

した「伝統」は.簡単には改められない.[ 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」選挙事

務所の向こうに甲子園が見える2014/12/19

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20141218/275321/?ST=print ]

278 73年の第1次石油危機を主導し,OPECの時代を築いたサウジのヤマニ元石油相はかつ

,「石器時代は石がなくなったから終わったのではない。石器に代わる技術が生まれたから終

わった.石油も同じだ」と語った.[ http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81022200X11C14A2X93000/?df=2]

279 研究のモチベーションは怒りです.こいつアホだ,コンチクショーって.[ 中村修二

 AERA 2014.12.1 p9 ]

280 かように,世間の壁は厚い。

 周囲の承諾なしに妊娠すること(誰に相談しろと言うのだ?)を無責任と感じるかどうか

は別にして,ともかく,若い女性が妊娠することを,「ラインから外れる」ないしは「前線 から撤退する」事態として受けとめている人は、依然として少なくないわけだ.

 つまり,要約すれば 

「小娘の分際で妊娠なんかしやがって」

 と世間は言っているわけだ.

 なるほど。言いたいことはわからないでもない.

 が,いったい,小娘でないほかのどんな人間が妊娠できるというのだ?

 ヤフー知恵袋を見ると,「小学校の先生の産休って無責任だと思いませんか?」というそ

のものズバリの質問が投げかけられていたりする. ,回答の中には,案の定,「無

責任だ」という声がけっこう混じっている.

 「娘」に対峙する時,われわれは、封建領主のようなものになる.

 というのも,「娘」の中に,独立した一個の人格を認めることは,思いのほか困難な作業

であるからだ.[姫は城を出て母になる

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130704/250696/?n_cid=nbpnboml_weekly ]

281 しかしながら、その一方で、テロに対して、「非情」で「容赦の無い」「毅然とした」 「断固たる」態度を貫くことを通じて、われわれ平和な世界に生きている人間たちが、最前 線の兵士と同じ思考回路(ということはつまりテロリストとも)を身につけ、彼らと同じ方 

法論を採用するようになることは、世界の平和にとってプラスにならないとも感じている。 むしろ、暖房のきいた部屋で紅茶を飲んでいるわれら「なまぬるい」「どっちつかずの」「甘ったれた」「曖昧」で「いくじのない」お花畑の人間たちのマナーと考え方を、最前線の兵士たち に送り届けることの方がずっと大切だ、と思っている。[ お花畑は沈黙すべきか 小田嶋 2015 1 30 () http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150129/276879/?n_cid=nbpnbo_mlt

282 The Ant, the Spider, and the Bee in Francis Bacon’s “The New Organon” Those who have handled sciences have been either men of experiment or men of dogmas. The men of experiment are like the ant, they only collect and use; the reasoners resemble spiders, who make cobwebs out of their own substance. But the bee takes a middle course: it gathers its material from the flowers of the garden and of the field, but transforms and digests it by a power of its own. Not unlike this is the true business of philosophy; for it neither relies solely or chiefly on the powers of the mind, nor does it take the matter which it gathers from natural history and mechanical experiments and lay it up in the memory whole, as it finds it, but lays it up in the understanding altered and digested. Therefore from a closer and purer league between these two faculties, the experimental and the rational (such as has never yet been made), much may be hoped. [Bacon, Francis. The New Organon [Book One]. 1620.] 

283 

阿川: 誰が日本中の山に杉を植えろと命令したんですか. 奥本: 昭和25年くらいの農林省とか建設省の役人でしょ.—中略広葉樹を植えれば保水力が強いから.雨が降ってもゆっくりゆっくり何ヶ月もかかって下まで流れていく.でも杉の林は保水力が弱いからザーッと流れて洪水になる.そうすると, 河川を補強しなきゃいけないって,建設省なんかがまた仕事するわけ. 阿川: 川岸をコンクリートで固めて. 奥本: 川底も含めて三面張りになっちゃった.だから,日本中の川は水洗便所なったんです. 早く水を流す真っ直ぐな川に. 阿川: 下水道みたいな川ばっかり. 奥本: それと同じことをやってるのが文科省で,子供の頭の中で知識を流すだけになった. それがセンター試験なんです.[ 阿川佐和子の会えば道連れ (この人に会いたい5) (文春文庫 543, 2007) p96-97 ] 

284 子供は可能性を持っている存在で,しかも,その可能性がいつも破れ続けていくっていう存在だから,子供に向かって語ることは価値があるのであって,もう破れきってしまった 人間にね,僕は何も言う気は起こらない.と言ってしまうと,ちょっと言葉の上では走りすぎているかもしれませんが. [宮崎駿「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡」文春 ジブリ文庫 p18] 

285 しかし最近最も「なかなかよい質問」と思った質問は、次の質問だった。 「では、こちらからお聞きしたいことは以上ですが、なにかご質問はありますか? 応募者 「はい。差し支えなければ若干立ち入ったことをお聞きしたいのですが。」 「どうぞ」 

応募者 「面接官の皆さんは、入社してどのくらいですか」 面接官 A さん 12 年です」 面接官 B さん 8 年です」 応募者 「ありがとうございます。Aさんは勤続 12 年ということですが、この仕事をなぜ 12 年も続けてこれたのですか? なるほど、と思った。これはいい質問だ。これで上司になるかもしれない社員のレベルもわ かるし、何に価値観をおいているかもわかる。いわば面接中に社員訪問をしているのと同じ効果が得られるということだ。特に面接官に選定されている人は会社内において信頼されている人が多い。「会社を値踏みする」には最適な人物である。A さんは聞かれたことについて、結構考え込んでいた。 

「確かになぜ 12 年もこの会社にいるのか.良い質問ですね」 しばらく考えて、Aさんはこう言った。 「私は、社長が好きだからです」 応募者の方は、それに対して 「なるほど、どんなところが好きなのですか?」とまた質問をする。しばらくAさんと受け 答えして、Bさんにもおなじ質問をしていた。 

B さんは困っていたが、 「私にはこれしかできないですから」 と回答していた。 正直に言えば、私は「おいおい、それでいいのか?」と心のなかでツッコミを入れた。学生はあまり納得していないようだった。つまりこの学生は「自分が入ろうとしている会社の、現場の声を集めた」ということだ。うちの社員より鋭い。 結果的にこの応募者は採用だったが、他の会社に内定をもらったということで、うちには来てくれなかった。やっぱり、「採用できるのは、自分たちと同じレベルの人たちだけ」なんだな。[安達裕哉ティネクト株式会社 代表取締役「メール第六回採用面接で聞かれた質問が秀 逸だった」(2014127Books&Appsに加筆・修正)投稿日: 2014031611 31 JST http://www.huffingtonpost.jp/yuuya-adachi/post_7106_b_4972599.html]

286 やっぱり人間みんな同じだよって言うんじゃなくてね,その善良なこととかですね,それから,やっぱりこれはあっていいことだとか,優れている人が要るんじゃないかとか,自分の中じゃなくても,どっかにそういうものがあるんじゃないかという気持ちがなかったら, とても作品を作れないわけですよね. それは,たとえば,子供がある肯定的なものに作品で出会ったときに,こんな人はいない よとか,こんな先生はいないよとか,こんな親はいないよとか言っても,そのときに「いな いよね」って一緒に言うんじゃなくて,「不幸にして君は出会ってないだけで,どこかにいるに違いない」って僕は思うんですよ.—中略でも,やっぱり僕は自分がくだらなくても,くだらなくない人はいると思ってますから,だから,そこを拠り所にして映画を作ってますけどね. [宮崎駿「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡」文春ジブリ文庫 p19-20] 

287 それから,作家で言えば,堀田善衛っていうの大好きなんですけどもね.大好きというよりも,とにかく長生きしててほしいと思っているんですけどね.日本人の誠実の証だと思っているんですよ,僕は.[宮崎駿「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡」文春ジブリ文庫 p21-2] 

285 あの人は偉い人です.とにかく,日常生活がそのものがやっぱり偉かった人ですよ. それは大したことですよ.分裂してないですから! 別の部分で,ものすごく悲劇的な分裂をしているけれど.たとえばね,岩手のあそこでセロを弾いてたってこと自体が,実に悲しい分裂ですよ.だけど,やっぱりその引き裂かれた部分も含めて,偉大な人ですよね.[宮崎駿 「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡」文春ジブリ文庫 p24]

288 アニメーションで絵が動くのは当たり前ですから.そういう「ああ,こんなことができるんだ?!」っていうようなことができたとき,なんか作品ってのはもう少し輝きを帯びるんじゃないかなあと思うんですけれど.[宮崎駿「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡」文春ジブリ文庫 p30] 

289 エンターテインメントっていうのはなにかって言ったら,間口が広いことですよ.敷居が低くて,誰でも入れる,入ろうと思えば.—中略僕がチャップリンの映画が一番好きなのは,なんか間口が広いんだけど,入っていくうちにいつの間にか階段を昇っちゃうんですよね.なんかこう妙に清められた気持ちになったりね.なんか厳粛な気持ちになったりね. あれが僕は,エンターテインメントの理想じゃないかと思うんです

中略— 

ディズニーの作品で一番嫌いなのは,僕は入り口と出口が同じだと思うんですよね.[宮崎駿 「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡」文春ジブリ文庫 p32-3] 

290 (北一輝は) 日米問題は則ち中国問題だとさえ考えていた.これは,日米の両帝国主義が 中国における権益をめぐって覇権競争を展開してきた,という認識にほかならない.そして, この日米の覇権競争をそのまま放置すれば,両国は必ず「破滅的深淵」,つまり戦争へと突入するだろう,それは,「太平洋上の死闘」を現出する,. [松本健一「日本の失敗」(岩波 現代文庫 (2006) 原書 1998) p36 ] 

291 満州国は日本帝国主義のカイライ国家であるとして,すべてを日本帝国主義の悪のせいにしてしまうのが,戦後日本のアカデミズムであった.しかし,その日本帝国主義を支えて いたものこそ,上は満州に「大同の世」を描こうとしたイデオローグであり,下は貧しい満 州移民たちであったのである.その貧しい満州移民たちにも日本帝国主義を支えた責任,というより,その原衝動があった事実を認めたのは,戦後のアカデミズムではなかった.それは,日本の「国体」と軍国主義を支えていたのは,ムラ=共同体であり,これを革命的エネルギーに転化する以外に日本の革命はない,といった谷川雁 (「東洋の村の入り口で」1955)であった. [松本健一「日本の失敗」(岩波現代文庫 (2006) 原書 1998) p136 ] 

292 満州事変が勃発したとき,ジャーナリズムはこの昭和六年=1931 年を語呂合わせで「いくさのはじめ」とよび,盛んに好戦気分をあおった (昭和 9, 10, 11 年になると 1934,5,6 年をもじって「いくさのしごろ」などとはやしたてた). 戦後になるとだれもが口をぬぐってしまったが,ジャーナリズムが満州事変を「いくさのはじめ」といって好戦気分をあおったとき,これを咎めだてるものはほとんどいなかった. 唯一,大本教の出口和仁三郎のみが,何で日本人が西暦などで語呂合わせをするのか,皇紀でいえばいいじゃないかと,昭和六年=皇紀 2591 年を「じごくのはじめ」と語呂合わせでよんだだけである. [松本健一「日本の失敗」(岩波現代文庫 (2006) 原書 1998) p139-40 ] 

293 戦後憲法における「戦争の放棄」という条項は,1928 年の「不戦条約」における」国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スル」条項 (国際的なとりきめ),日本が 1931 年の満州 事変以来,一方的に破ったこと.その結果として,連合国からの一国の憲法に懲罰的に「戦争の放棄」条項が書き込まれたのである.—中略

湾岸戦争のとき柄谷行人とともに「反対声明」を出したポスト・モダンの浅田彰などは, 「国連憲章よりも自分たちの平和憲法のほうがはるかに世界史的先進性を持っている」などと自慢したものである.これは,「不戦条約」や国際連盟規約をいちどもよんだことのない脳天気な発言だった,といえよう.[松本健一「日本の失敗」(岩波現代文庫 (2006) 原書 1998) p164-5 ] 

294 東京は、35年前から比べて、ずっと機能的で洗練された街になった。 このことは、別の側面から見ると、東京が、健康で、足が速くて、反射神経に優れた強者のために最適化された空間に生まれ変わったということでもある。[バリアフリーでデンジャ ラスな東京, 小田嶋 2015522() http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150521/281427/?ST=print

295 (during the Reformation and the Counterreformation) Gradually, weariness resulting from the wars of religion led to the growth of belief in religious tolerance, which was one of the sources of the movement which developed in to eighteenth---and nineteenth century liberalism. [B Russell, “A History of Western Philosophy” (Simon & Schuster, 1945) loc. 9466 ] 

296 Some of the men to whom Copernicus communicated his theory were German Lutherans, but when Luther came to know of it, he was profoundly shocked. “People give ear,” he said, “to an upstart astrologer who strove to show that the earth revolves, not the heavens or the firmament, the sun and the moon. Whoever wishes to appear clever must devise some new system, which of all systems is of course the very best. This fool wishes to reverse the entire science of astronomy; but sacred Scripture tells us that Joshua commanded the sun to stand still, and not the earth.” Calvin, similarly, demolished Copernicus with the test: exclaimed: “Who will venture to place the authority of Copernicus above that of the Holy Spirit?” [B Russell, “A History of Western Philosophy” (Simon & Schuster, 1945) loc. 9544] 

297 Galileo’s pupil Torricelli invented the barometer. Guericke(1602-86) invented the air pump. Clocks, though not new, were greatly improved in the seventeenth century, largely by the work of Galileo. Owing to these inventions, scientific observation became immensely more exact and more extensive than it had been at any former time. [B Russell, “A History of Western Philosophy” (Simon & Schuster, 1945) loc. 9677] 

298 Bacon traveled to Italy, where he visited Galileo in 1636..... When the Parliament of 1628 drew up the Petition of Right, he published a translation of Thucydides, with the expressed intention of showing the evils of democracy. [B Russell, “A History of Western Philosophy” (Simon & Schuster, 1945) loc. 9870] 

299 Cultivated people in eighteenth-century France greatly admired what they called la sensibilite, which meant a proneness to emotion, and more particularly to the emotion of sympathy. To be thoroughly satisfactory, the emotion must be direct and violent and quite uninformed by thought. The man of sensibility would be moved to tears by the sight of a single destitute peasant family, but would be cold to well-thought-out schemes for ameliorating the lot of peasants as a class. [B Russell, “A History of Western Philosophy” (Simon & Schuster, 1945) loc. 12142]