III 201-300 

風雅和歌集 オルテガ「大衆の反逆」 岩佐美代子「源氏物語六講」 万葉集 藤原定家「拾遺愚草」

201 ごく簡単に言ってしまえば、日本語と英語が構造的にきわめて異質な言語である以上、日本語の母語話者をただ漫然と英語漬けにしただけでは高度な英語力は身につかないということである。蘭学の伝統を受け継ぐ英学者たちが短期間できわめて高度な英語力を持つに至ったのは、やはり素読、句読、訳読、そしてそれらを踏まえた口授など、日本人にとってふさわしい西洋語の学習法を経験的に知っていたからにほかならない。そして、明治から昭和にかけての英語達人たちを調べてみると、やはり日本語と英語の間合いを見きった上で、理に適った勉強をしていることがわかる。 [斎藤兆史「日本人の英語」 図書2002-2 p27]

202 日本人にとっての英語学習がどのようなものであるかをもっともよく理解しているのは、日本人以外にはあり得ないのである。 [斎藤兆史「日本人の英語」 図書2002-2 p27]

203

1029 嬉しとも一かたにやは詠めらるゝ まつ夜に向かふ夕暮の空(永福門院)

1030 頼まじと思ふ心はこゝろにて 暮れ行く空のまた急がるゝ(院冷泉)

1031 必ずとさしも頼めぬ夕暮を 我れ待ちかねて我ぞかなしき(従三位親子)

1036 暮にけり 天とぶ雲の往来にも 今夜いかにと伝へてしがな(永福門院)

1068 今日の雨晴るゝも侘し降るも憂し 障習ひし人を待つとて(永福門院内待)

1076 空しくて明けつる夜半の怠を 今日やと待つに又音もなし(進子内親王)

1077 何となく今夜さへこそ待たれけれ 逢はぬ昨日の心習ひに(永福門院)  [風雅和歌集 巻十一恋歌二]

204 驚嘆するというそのことは、サッカーの選手には許されないが、それは知識人を駆って、夢想家のように永遠の統帥のうちに世界を彷徨させるのである。その特徴は、驚嘆する目である。だから、古代人はミネルヴァの女神に、つねに大きく見ひらいた目をもつ鳥、すなわちふくろうを与えたのである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p5-6]

To be surprised, to wonder, is to begin to understand. This is the sport, the luxury, special to the intellectual man. The gesture characteristic of his tribe consists in looking at the world with eyes wide open in wonder. Everything in the world is strange and marvelous to well-open eyes. This faculty of wonder is the delight refused to your football fan,” and, on the other hand, is the one which leads the intellectual man through life in the perpetual ecstasy of the visionary. His special attribute is the wonder of the eyes. Hence it was that the ancients gave Minerva her owl, the bird with ever-dazzled eyes. (p12)

205 少数の人間が、まさに多数の人々から分離するための目的で団結するいう要素は、あらゆる少数派が形成されるとき、つねにはいりこんでくる。ある洗練された音楽の演奏を聴く小さな集まりについて、マラルメはいみじくも次のように語った。聴衆はその数少ない存在によって、多数者の不在を強調していた。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p8-9]

This coming together of the minority precisely in order to separate themselves from the majority is a necessary ingredient in the formation of every minority, Speaking of the limited public which listened to a musician of refinement, Mallarm’e wittily says that this public by its presence in small numbers stressed the absence of the multitude. (p14)

206 選ばれた人とは、他人よりもすぐれていると思いこんでいる気どり屋ではなく、たとえ自分に課した高度の要求を果たせなくとも、他人よりも自分にきびしい要求を課す人である。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p9]

When one speaks of “selected minorities” it is usual for the evil-minded to twist the sense of this expression,

pretending to be unaware that the select man is not the petulant person who thinks himself superior to the rest, but the man who demands more of himself than the rest, even though he many not fullfil in his person those higher exigencies. (p15)

207 たとえば、知的生活は、その本質からして資格を要求し、これを前提とするものであるが、ここでも、資格のない、資質の定めえない、またかれら自身の精神構造からして資質の低い疑似知識人たちが、しだいに勝利をおさめつつあることに気づく。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p10]

Thus, in the intellectual life, which of its essence requires and presupposes qualification, one can note the progressive triumph of the pseudo-intellectual, unqualified, unqualifiable, and by their very mental texture, disqualified.(p16)

208

1052 我も人も哀れ難面なき夜な夜なよ 頼めもやまず待ちも弱らず(永福門院)

1067 此のくれの心も知らで 徒によそにもあるか我が思ふ人(永福門院)

1087 あかざりし暗の現を限にて 又も見ざらむゆめぞはかなき(安嘉門院四條)

1123 人は行き霧はまがきに立ち止り さも中空にながめつる哉(和泉式部)

1131 なるゝまゝの哀れに遂にひかれ来て厭ひ難くそ今はなりぬる(永福門院)

1154 憂きも契つらきも契 よしさらば皆哀れにや思ひなさまし(永福門院)  [風雅和歌集 巻十一恋歌二、巻十二恋歌三]

209 現時の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知のうえで、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押しつけようとする点にある。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p13]

The characteristic of the hour is that the commonplace mind, knowing itself to be commonplace, has the assurance to proclaim the rights of the commonplace and to impose them whatever it will. (p18 original in italic) (p18)

210 《みんな》とは、本来、大衆と、大衆から離れた特殊な少数派との複雑な統一体であった。いまでは、みんなとは、ただ大衆をさすだけである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p14]

“Everybody” was normally the comp;lex unity of the mass and the divergent, specialised minorities. Nowadays, “everybody” is the mass alone. (p18)

211 本当の生の充実は、満足や成就や到達にあるのではない。かつてセルバンテスは、《道中は宿屋よりいつもよい》といった。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p31]

Genuine vital integrity does not consist in satisfaction, in attainment, in arrival. As Cervantes said long since: “The road is always better thn the inn.” (p32)

212

1227 今しもあれ人の詠もかゝらじを 消ゆるも惜しき雲の一村(永福門院)

1228 それをだに思ひさまさじ 恋しさの進むまゝなる夕暮の空(伏見院御歌)

1229 寝られねば唯つくづくと物を思ふ 心にかはる燈火のいろ(伏見院新宰相)

1233 恋しさも人のつらさも知らざりし 昔乍らの我身ともがな(従二位為子)

1248 とはぬ間を忘れずながら程ふるや 遠ざかるべき始なる覧(式部卿恒明親王) [風雅和歌集 巻十三恋歌四]

213

1378 鳥の行く夕の空よ その夜には我もいそぎし方はさだめき(伏見院御歌)[風雅和歌集 巻十四恋歌五]

214

1411 世々経てもあかぬ色香はのこりけり 春や昔の宿の梅が枝(前大僧正範憲)

1415 軒近き梅の匂ひも深き夜の ねやもる月にかをるはるかぜ(平久時)

1422 志らみ行く霞の上の横雲に ありあけほそき山の端のそら(九條左大臣女) [風雅和歌集 巻十五雑歌上]

215 十九世紀には、進歩にたいする進行はしっかり守られていたが、多くのことがもはや達成不可能のように思われた。今日では、すべてがわれわれにとって可能であるように見えるために、われわれは、最悪のこと、つまり退歩、野蛮、没落も可能であると予感している。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p48]

To the XIX the Century many things seemed no longer possible, firm-fixed as was its faith in progress. Today, by the very fact that everything seems possible to us, we have a feeling that the worst of all is possible: retrogression, barbarism, decadence.  This is the root-origin of all our diagnoses of decadence. Not that we are decadent, but that, being predisposed to admit

216 世界はわれわれの生全体を構成する宿命の広がりである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p52]

Our world is that portion of destiny which goes to make up our life. (p47)

217 歴史は予知できないというのは嘘である。数えきれないほど何度も、それは予言された。もしも未来が予言を受けつけなければ、未来が現実となり、さらに過去となったときにも、理解することはできないだろう。歴史家は後ろ向きの予言者であるという考え方は、歴史哲学のすべてを要約している。未来については、その一般的構造だけしか予知できないというのは本当かも知れない。しかし、一般構造こそ、われわれが真実に、過去や現代について理解できるただ一つのものである。だから、もしあなたが自分の時代をよく見たければ、遠くからごらんになることだ。どのくらいの距離から見るか。きわめて簡単なことだ。クレオパトラの鼻が見えなくなるだけの距離から見ればよい。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p62]

It is true that it is only possible to anticipate the general structure of the future, but that is all that we in truth understand of the past or of the present. Accordingly, if you want a good view of your own age, look at it from far off. From what distance? The answer is simple. Just far enough to prevent you seeing Cleopatra’s nose.” (Ortega, La rebelion de las masas (1930), p55)

218 食料が不足して起こる暴動のさいに、一般大衆はパンを求めるのだが、なんと、そのやり方はパン屋を破壊するのがつねである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p68]

In the disturbances caused by scarcity of food, the mob goes in search of bread, and the means it employs is generally to wreck the bakeries. (p60)

219 高貴さは、権利によってではなく、自己への要求と義務によって定義されるものである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p79]

220 多くの読者が私と同じようには考えないことを私はよく知っている。それはきわめてあたりまえのことであり、むしろ私の所説の正しいことを裏づけているのである。たとえ私の意見が決定的にまちがっていたとしても、私と意見を異にする読者の多くが、これほど複雑な問題を五分間も考えたことがないという事実には変わりがないからである。そんな人がどうして私と同じように考えるわけがあろう。まえもって一つの意見をつくりあげようという努力をしないで、その問題に関して意見を持つ権利があると考えるのは、私が《反逆する大衆》と呼んだ人間のばかげた生き方で、その人が生きていることを明らかに示している。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p80]

I know well that many of my readers do not think as I do. This also is most natural and confirms the theorem. For although my opinion turn out erroneous, there will always remain the fact that many of those dissentient readers have never given five minutes’ thought to this complex matter. How are they going to think as I do? But by believing that they have a right to an opinion on the matter without previous effort to work one out for themselves, they prove patently that they belong to that absurd type of human being which I have called the “rebel mass.” (p68)

221 炯眼の人は、自分が愚か者とつねに紙一重であることを知って驚く。だから、目前のばかげたことを避けようと努力するし、その努力のなかに知性が存する。それにたいし、愚か者は、自分のことを疑ってみない。自分がきわめて分別があるように思う。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p82]

We find ourselves, then, met with the same difference that eternally exists between the fool and the man of sense. The latter is constantly catching himself within an inch of being a fool; hence he makes an effort to escape tom the imminent folly, and in that effort lies his intelligence. The fool, on the other hand, does not suspect himself; he thinks himself the most prudent of men, hence the enviable tranquility with which the fool settles down. (p69) every possibility, we do not exclude that of decadence.

222 思想とは、真理に対する王手である。思想をもとうとする者は,そのまえに、真理を欲し、真理を要求する遊戯の規則を認める用意がなくてはならない。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p84]

Whoever wishes to have ideas must first prepare himself to desire truth and to accept the rules of the game imposed by it. P71)

223

1477 春と云へば昔だにこそかすみしか 老の袂にやどる月かげ(源高國)

1478 おぼろにも昔の影はなかりけり 年たけて見る春の夜の月(従二位家隆)

1482 影うつす松も木高き春の池に みなそこかけてにほふ藤波(山本入道前太政大臣) [風雅和歌集 巻十五雑歌上]

224 インド=イラン世界では神を意味したデーヴァ(deva) が、宗教改革によってイランではダーワとして邪悪なるものに下落し、戦士の代名詞ともいうべきインドラが悪魔化されるのは、ザラスシュトラが祭官(ザオタール)であり、古い社会の祭祀と信仰の核心の部分を知りぬいていたゆえに行なった差別化であったのであろう。 [前田耕作「宗祖ゾロアスター」(ちくま新書108, 1997p157-8]

225

1498 橘のかをり涼しく風立ちて のきばにはるゝゆふぐれの雨(従二位兼行女)

1508 村雨は晴行くあとの山陰に 露ふきおとすかぜのすずしさ(読人しらず)

1510 更けにけり また転寝に見る月の影も簾にとほくなりゆく(儀子内親王)

1539 寂しさは軒端の荻の音よりも 桐の葉おつるにはの秋かぜ(平英時)

1589 さえ透る霜夜の空の更くるまゝに 氷り静まる月の色かな(前権僧正尊什)

1607 老となる数は我身にとどまりて 早くも過ぐる年の暮かな(前権僧正静伊)

1608 身の上に積る月日も徒らに 老のかずそふとしのくれかな(前権僧正雲雅) [風雅和歌集 巻十五雑歌上]

226 ダマスカスの大法官として、アブー・サアド・アル=ハラウィは難民たちを温かく迎え入れた。この高官は、アフガニスタンの出ながら、町でもっとも敬われていた人物である。彼はパレスティなの難民たちに惜しみない同情と慰めの言葉を注いだ。彼によれば、イスラム教徒は住み家から逃げ出さざるを得なかったからといって、恥じることはない。イスラムの最初の難民は預言者ムハンマド自身ではなかったか。彼は住民に憎まれて、出生の地メッカを捨てざるを得ず、メディナに避難したのだが、新しい教えはその町で温かく迎えられたのであった。そして祖国を偶像崇拝から救うために、彼が聖戦、すなわちジハードを起こしたのは、この亡命先からではなかったか。したがって、難民は自分たちが名誉ある聖戦の兵士(ムジャーヒディーン)であることを知るべきである。このためムハンマドの遷都(ヒジュラ)がイスラム暦の始まりとされているのである。 [アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」(牟田口義郎・新川雅子訳、ちくま学芸文庫 2001p022-023]

227

1613 暁やまだ深からし 松のうれにわかるともなきみねの白雲(藤原為基朝臣)

1615 時ははや暁近くなりぬなり まれなる星のそらぞしづけき(左近中将忠季)

1616 西の空はまだ星見えて有 明の影よりしらむ遠のやまの端(今上御歌) 1617 白み増る空の緑は薄く見えて 明け残る星の数ぞ消え行く(院一條)

1622 聞き聞かず同じ響きも乱るなり 嵐のうちのあかつきの鐘(進子内親王)

1632 風すさぶ竹のさ枝の夕づく日 うつり定めぬ影ぞさびしき(前大納言実明女)

1633 もりうつる谷にひとすじ日影見えて 峯も麓も松の夕風(前大納言為兼)

1638 見渡せば雲間の日影うつろひて むらむらかはる山の色かな(中務卿宗尊親王)

1639 夕日さすみねは緑の薄く見えて 陰なる山ぞ分きて色こき(龍安門院)

1642 山の端の色ある雲にまづ過ぎて 入日の跡の空ぞしづけき(院一條)

1656 かくしてぞ昨日も暮れし 山の端の入日のあとに鐘の声々(永福門院)

1660 つくづくと独聞く夜の雨の音は 降りをやむさへさびしかり鳧(儀子内親王)

1688 雨晴れて色濃き山の裾野より離れてのぼる雲ぞまぢかき(永福門院内待) [風雅和歌集 巻十六雑歌中]

228

1817 入るたびに又は出でじと思ふ身の 何ゆゑいそぐ都なるらむ(前大僧正道玄)

1873 山深く身を隠しても 世の中を遁れ果てぬはこゝろなりけり(藤原宗秀)

1904 今になりむかしに帰り思ふ間に 寝覚の鐘も声盡きぬなり(永福門院内待)

1975 人の世は久しと云ふも 一時の夢のうちにてさも程もなき(従二位為子)

2029 こゝのめぐり春は昔にかはり来て 面影かすむ今日の夕暮(高辯上人) [風雅和歌集 巻十七雑歌下]

229

9363 影ひたす水さへ色ぞ緑なる 四方の梢の同じ若葉に [藤原定家「拾遺愚草」上歌合百首 建久四年秋]

230 今、改めて私自身、この物語の皇女の描かれ方を考え、私が幼い時、何も知らずに内親王のお相手としてそのお人柄、御生活、周囲の方々の作る社会等にふれましたことが、成長後、『源氏物語』『枕草子』をはじめ、中世に至る宮廷女流日記文学の理解にどれほど役に立っていたかに思い至りまして、坂本さんの推定(紫式部は十歳前後から二十三歳頃まで冷泉天皇中宮昌子内親王に奉仕したであろうという推定引用者)はまことに妥当であるとうなずかれます。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p34]

231 文法的に正しく読むのは大変大事なことですが、それが読者としての感覚にそぐわなかったら、何か文法のあてはめ方が間違っているんじゃないか、と考えてみることも大切です。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p49]

232 紫式部の文学者としてのすばらしさは、「書かれた事」の中だけでなく、「書かれなかった事」の中にもある、ということを味わいながら、この物語を読んでいただきたいと存じます。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p51]

233 オルテガ哲学の形成に当たって、直接に強い影響を与えたのは、フッセルとディルタイであり、ある意味でライバルであったのは、ハイデッガーであった。

中略

後年、オルテガは、サルトルに代表される第二次大戦後のフランスの実存主義をからかって、ハイデッガーより二十年、オルテガより三十年遅れて来たと評している。 [色摩力夫「オルテガ」(中公新書、1988p6,p8]

234 デカルトは、ルネッサンス期の危機に終止符を打ち、近代文明を樹立した象徴的な人物である。そのデカルトが、解析幾何学のインスピレーションを授かったことに感謝して、イタリアのアドリア海側のロレートまで赴き、聖母マリアの聖堂にお礼参りしている。近所の教会にお参りするのとは訳が違う。 [色摩力夫「オルテガ」(中公新書、1988p22-3]

235 キリスト教神学の歴史は、「ギリシャのロゴスが、キリスト教の直観を、不断に、不可避的に裏切る過程である。」(『ガリレオをめぐって』) [色摩力夫「オルテガ」(中公新書、1988p28]

236 「中空なるわざかな。家路は見えず、霧の籬は、立ちとまるべうもあらずやらはせたまふ」は和泉式部の秀歌、「人は行き霧は籬に立ちとまりさも中空にながめつるかな」(『和泉式部集』181)を引いておりますが、こういう、全く同時代のホットな情報をすかさず取り込んでいると言うことは、この物語の出来て来る過程、読んで楽しむ人の知識の範囲、そしてまた利用された和泉式部はどう思っただろうか、ということまで考えますと、何とも言えぬ面白さです。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p112-3]

237 そんなことを考えまして、私は本当に「夕霧」の巻が好きでございます。『源氏』はどこを取っても面白いし、また「夕霧」に限らずユーモラスな場面もいろいろとございまして、悲しい、深刻な、あるいは夢のように優雅なばかりの物語ではない。どうぞ、一遍読んだからいいや、筋がわかったからいいや、有名なところじゃないからとばそう、ではなく、あちこち浮気をしてお読みになっていただきたいと思います。むしろこういう普通人の物語にこそ、ひとしお発揮される作者のテクニック、中心人物の描写では見えにくい喜劇作者としての紫式部の腕前を、十分にお楽しみ下さい。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p140]

238 皆様、ご経験おありだと思いますけれど、『源氏物語』は読むたびに面白いところが変わってまいりますね。若いときはもちろん、「夕顔」とか「若紫」、それから結婚でもいたしますと「雨夜の品定め」が少しわかったような生意気な気分になりましたり、あるいは「宇治十帖」のロマンティックなところがすてきだとか、また「若菜」の深刻なのがいいとか、もう少ししますと「玉鬘」の並びの巻のしゃれた美しさがわかってくる、とそういうふうに、読者の人生体験にしたがっていろいろな局面が理解できるようになってまいります。人物にいたしましても、今まで全然、同情も何もしていなかった葵上の気持ちが、ある時ふっとわかって、ああかわいそうだなと思うようになりましたとか、あるいは自分は若紫だとばかり思って読んでいたのに、気がついたらそれどころではない、そのおばあさんの尼上の年になっていたんだと思いまして愕然とするとか、そういうことがいろいろございます。そのように、何年たっても新たな発見がございまして、本当に日本人でよかった、あるいは女でよかったと、そういう感じがする作品でございます。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p141-2]

239 『源氏物語』が群を抜いて屹立している、その理由はいろいろございましょうけれど、一つには、中君のような主役でない人物にも、それぞれ一貫した人格を与え、道具としてではなく、人間として愛情をもって丁寧に描いているという点に、他の作品の到底及ばない見事さがございます。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p177]

240 現代語訳や注釈ではなく、この原文こそが『源氏物語』でございます。しかもそれは、昔の言葉でこそありますが、ほかならぬ日本語それももっとも洗練され完成された、高度文化社会の日本語で書かれております。その美しい日本語の響きを楽しみながら、引用した原文の其処此処を、声を出してお読みになってみて下さい。きれいにすらすら読めるようになられた頃には、意味も自然にのみこめていらっしゃるはずです。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p220]

241 最後に、一千年の時を隔てて、このおおけない読みの試みが、はたして偉大な作者の制作意図にほんの少しでも迫り得ましたか否か、言い尽くせぬ畏れをもって、ささやかな一編を紫式部に捧げます。 [岩佐美代子「源氏物語六講」(岩波、2002p226]

242

8 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(額田王)

15 わたつみの豊旗雲に入日見し 今夜の月夜さやに照りこそ(中大兄)

16 冬ごもり春さり来れば 鳴かざりし鳥も来鳴きぬ 咲かざりし花も咲けれど

山を茂み入りても取らず 草深み取りても見ず

秋山の木の葉を見ては 黄葉をは取りてそしのふ 青きをば置きてそ嘆く そこし恨めし

秋山われは(額田王)

17 うまざけ三輪の山

 あをによし奈良の山の 山の際にい隠るまで 道の隈い積るまでに

 つばらにも見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を

 情なく雲の隠さふべしや(額田王)

18 三輪山をしかも隠すか 雲だにも情あらなも 隠さふべしや(額田王)

29 玉襷畝火の山の 橿原の日知の御代ゆ

 生れましし神のことごと 樛の木のいやつぎつぎに 天の下知らしめししを

 天にみつ大和を置きてあをによし奈良山を越え

 いかさまに思ほしめせか 天離る夷にはあれど

 石走る淡海の國の 楽浪(さざなみ) の大津の宮に

 天の下知らしめしけむ 天皇の神の尊の

 大宮は此処と聞けども 大殿は此処と言へども

 春草の繁く生ひたる 霞立ち春日の霧れるももしきの大宮処

 見れば悲しも(柿本人麿) [万葉集 巻第一]

243 日本語は述語の統語力がたいへん強い。したがって述語以外はすべてその補足部として作用することになり。「主語」というものを独立させる意味もなくなってくるのであろう。 [梅棹忠夫、本田勝一「日本語の作文技術」(朝日新聞1982p144 引用]

244 気象や時間の文章でit などという形式上の主語を置くのも、全く主語の不必要な文章に対して強引に主語をひねりださねばならなぬ不合理な文法の言葉がもたらした苦肉の策に他ならない。「形式上のit」はイギリス語があげている悲鳴なのだ。 [本田勝一「日本語の作文技術」(朝日新聞1982p146]

245 翻訳とは、二つの言語の間の深層構造の相互関係でなければならない。 [本田勝一「日本語の作文技術」(朝日新聞1982p150]

246 文は長ければわかりにくく、短ければわかりやすいという迷信がよくあるが、わかりやすさと長短とは本質的には関係がない。問題は書き手が日本語に通じているかどうかであって、長い文はその実力の差が現れやすいために、自身のない人は短い方が無難だというだけのことであろう。 [本田勝一「日本語の作文技術」(朝日新聞1982p154]

247 日本語で「ハ」にすべきか「ガ」にすべきかといった問題は、このように言葉の死命を制する。だから、第一級の文章家たちは、ハとガの使い方が必ずうまく、論理的で、その結果リズムに乗っている。 [本田勝一「日本語の作文技術」(朝日新聞1982p157]

248 ここに面白いデータがある。ベラスケスの死後に発見された蔵書である。その目録によると、大部分が数学であって、それに、自然科学、地理、旅行記の類も少なくなく、歴史も若干ある。しかし、芸術の分野では、詩の本が一冊しかない。 [色摩力夫「オルテガ」(中公新書、1988p58]

249 文明を創造するには、人間の厖大な組織的努力を必要とする。しかも、一旦創造された文明を維持し管理するためにも、やはり同様に厖大な組織的努力が必要である。 [色摩力夫「オルテガ」(中公新書、1988p155]

250 19世紀の末には、史上かってない科学者のタイプが登場した。それは、科学の特定の部門、しかもその中の小部分の研究に集中的に従事する科学者である。それ自体は、時代の要請に応えるものであって結構なことである。しかし、問題は、そのように専門化しただけでなく、「その他の分野について知らないことを美徳と宣言し、知識の相対にかかわる好奇心を、《ディレッタンティズム》と呼ぶに至った」ことである。

 オルテガは、このような現代の科学者を「サピオ・イグノランテ」(無知の賢者)と呼ぶ。彼らは、知的には、自分の専門の限界内で閉鎖的に生きている。もちろん、専門の分野では絶対の自信をもっている。しかし、その自信によって、専門外の分野にも介入し、現代社会のあらゆる問題に、権威ある者のごとくに発言する。いわゆる「識者の意見」である。これは、奇妙な錯覚である。空前の無責任現象である。しかし、科学者自身は、少しも矛盾を感じない。社会一般も、あやしまないどころか、当然のごとく受諾する。一芸に通ずる者は万芸に通ずるなどと、気楽に言ってはいけない。 [色摩力夫「オルテガ」(中公新書、1988p158-9]

251 歴史学の最後の目的は、結局、人間関係を究明するに落ちつくであろう。人間の生活とは結局のところ人的関係にほかならぬからである。この人間関係には当然、個人と個人との関係も含まれねばならぬ。その関係の仕方がどのように変遷してきたか、を知るのは歴史学の重大問題でなければならぬ。 [宮崎市定「隋の煬帝」(中公文庫、1987) p231-2]

252

49 日並皇子の命の 馬並めて御猟立たしし時は来向ふ(柿本人麿)

63 いざ子ども早く大和へ 大伴の御津の濱松待ち恋ひぬらむ(山上憶良) [万葉集 巻第一]

253

85 君が行き日長くなりぬ 山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ(盤姫皇后)

95 われはもや安見児得たり 皆人の得難にすとふ安見児得たり(鎌足)

105 わが背子を大和へ遣ると さ夜深けて暁露にわが立ち濡れし(大伯皇女)

106 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ(大伯皇女)

107 あしひきの山のしづくに 妹待つとわれ立ち濡れぬ 山のしづくに(大津皇子)

108 吾を待つと君が濡れけむ あしひきの山のしづくに成らましものを(石川郎女郎)

115 後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ 道の阿廻(くまみ)に標結へわが背(但馬皇女)

116 人言を繁み言痛み 己が世に未だ渡らぬ朝川渡る(但馬皇女) [万葉集 巻第二]

254 サンディカリズムとファシズムの相の下に、始めてヨーロッパに、理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押しつけるタイプの人間が現れたのである。これは新しい事実だ。理由を持たない権利、道理のない道理である。この新しい事実のなかに、私は、資格もないのに社会を支配する決意をした新しい大衆のあり方の、もっとも顕著な特色を見るのである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p86]

Under Syndicalism and Fascism there appears for the first time in Europe a type of man who does not want to give reasons or to be right, but simply show himself resolved to impose his opinions. This is the new thing: the right not to be reasonable, the “reason of unreason.” Here I see the most palpable manifestation of the new mentality of the masses, due to their having decided to rule society without the capacity for doing so. (p73)

255 思想をもつとは、思想の根拠となる理由を所有していると信ずることであり、したがって、理性が、すなわち理解可能な真理の世界が存在すると信ずることである。思想を生みだすことつまり意見をもつということは、そのような真理という権威に訴え、それに服従し。その法典と判決を受けいれることと同じである。したがって、教諭の最良の形式は、われわれの思想の根拠となる理由を議論する対話にあると信ずることと同じである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p87]

To have an idea means believing one is in possession of the reasons for having it, and consequently means believing that there is such a thing as reason, a world of intelligible truths. To have ideas, to form opinions, is identical with appealing to such an authority, submitting oneself to it, accepting its code and its decision, and therefore believing that the highest form of intercommunication is the dialogue in which the reasons for our ideas are discussed. (p73-4)

256 文明とは、力を最後の理性に還元する試み以外のなにものでもない。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p88]

Civilization is nothing else than the attempt to reduce force to being the ultima ratio. p 75)

257

131 石見の海角の浦廻を 浦なしと人こそ見らめ 潟なしと人こそ見らめ¥¥よしゑやし 浦は無くとも  よしゑやし 潟は無くとも 鯨魚とり海辺を指して 和田津の荒磯の上に か青なる玉藻沖つ藻 朝羽振る風こそ寄せめ 夕羽振る浪こそ来寄せ 浪のむた か寄りかく寄る 玉藻なす寄り寝し妹を 露霜の置きてし来れば この道の八十隈毎に 萬たびかへりみすれど いや遠に里は放かりぬ いや高に山も越え来ぬ 夏草の思ひ萎えて 偲ふらむ妹が門見む 靡けこの山(柿本人麿)

132 石見のや高角山の木の際よりわが振る袖を妹見つらむか(柿本人麿)

140 な思ひと君は言ねども 逢はむ時何時と知りてかわが恋ひざらむ(依羅(よさみ) 娘子) [万葉集 巻第二]

258 自由主義は今日、次のことを想起することはたいせつなことだ最高に寛大な制度である。なぜならば、それは多数派が少数派に認める権利だからであり、だからこそ、地球上にこだましたもっとも高貴な叫びである。それは、敵と,それどころか、弱い敵と共存する決意を宣言する。これほど反自然的なことを思いついたことは、信じがたいことだ。だからこそ、この同じ種族がじきにそれを捨ててしまおうと決意したからといって、驚いてはならないのである。この地上で確立するには、これはあまりに困難で複雑な制度である。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p90]

Liberalism—it is well to recall this today—is the supreme from of generosity; it is the right which the majority concedes to minorities and hence it its the noblest cry that has every resounded in this planet. It announces the determination to share existence with the enemy; more that that, with an enemy which is weak. It was incredibly that the human species should have arrived at so noble an attitude, so paradoxical, so refined, so acrobatic, so anti-natural. Hence, it is not to be wondered at that this same humanity should soon appear anxious to get rid of it. It is a discipline too difficult and complex to take firm root on earth. (p76)

259 「走れメロス」は太宰の中でも文体がちょっと崩してあって、「言うには及ばず」と言うところを「言うにや及ぶ」とかね、そういうフレーズが面白いから、それを使って感想文を出したら、先生は「文法が間違っています」って書いてきたの。それで私は大人を見下すことを一つ覚えてしまったね。 [山田詠美「文科省は勉強が出来ない」文芸春秋2002,6 p281]

260 自殺したい子供がいたら、「ここにいる作家は全員自殺したかったんだ」と言って本を二十冊持ってこられる先生はいないのかしら。そういう風に教えてあげるべきだと思うよ。 [山田詠美「文科省は勉強が出来ない」文芸春秋2002,6 p281]

261

141 磐代の濱松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む(有馬皇子)

143 磐代の岸の松が枝 結びけむ人は帰りてまた見けむかも(長忌寸意吉麿)

149 人はよし思ひ止むとも 玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも(倭大后)

152 鯨魚取り淡海の海を 沖放けて漕ぎ来る船 辺附きて漕ぎ来る船

沖つ櫂いたくな撥ねそ 辺つ櫂いたくな撥ねそ 若草の夫の思ふ鳥立つ(天智皇后)

163 神風の伊勢の國にもあらましを なにしか来けむ 君もあらなくに(大来皇女)

164 うつそみの人にあるわれや 明日よりは二上山を弟世とわが見む(大来皇女) [万葉集 巻第二]

262 現代文明の根源であり象徴である近代科学は、知的に非凡とは言えない人間を温かく迎えいれ、その人間の仕事が成功することを可能にしている。

 その原因は、新しい科学の、また、科学に支配され代表される文明の、最大の長所であり、同時に最大の危険であるもの、つまり機械化である。物理学や生物学においてやらなくてはならないことの大部分は、誰にでも、あるいはほとんどの人にできる機械的な頭脳労働である。科学の無数の研究目的のためには、これを小さな分野に分けて、その一つに閉じこもり、他の分野のことは知らないでいてよかろう。方法の確実さと正確さのお陰で、このような知恵の一時的、実際的な解体が許される。これらの方法の一つを、一つの機械のように使って仕事をすればよいのであって、実り多い結果を得るためには。その方法の意味や原理についての厳密な観念をもつ必要など少しもない。このように、大部分の科学者は、蜜蜂が巣に閉じこもるように、焼き串をまわす犬のように、自分の実験室の小部屋に閉じこもって、科学全体の発達を推進しているの である。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p137-8]

“That is to say, modern science, the root and symbol of our actual civilization, finds a place for the intellectually commonplace man and allows him to work therein with success. The reason of this lies in what is at the same time the great advantage and the gravest peril of the new science, and of the civilization directed and represented by it, namely, mechanisation. A fair amount of the things that have to be done in physics or in biology is mechanical work of the mind which can be done by anyone, or almost anyone. For the purpose of innumerable investigations it is possible to divide science into small sections, to enclose oneself in one of these, and to leave out of consideration all the rest. The solidity and exactitude of the methods allow of this temporary but quite real disarticulation of knowledge. The work is done under one of these methods as with a machine, and in order to obtain quite abundant results it is not even necessary to have rigorous notions of their meaning and foundations. In this way the majority of scientists help the general advance of science while shut up in the narrow cell of their laboratory, like the bee in the cell of its hive, or the turnspit in its wheel.” (Jose Ortega y Gasset, The Revolt of The Mass (Norton & Co., New York 1932) p110-111).

263 この、バランスの崩れた専門化傾向による直接的な結果は、今日、かつてないほど多数の《科学者》がいるのに、《教養人》が、たとえば、1750 年依りもずっと少ない、ということに現れている。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p140-1]

The most immediate result of the unbalanced specialisation has been that today, when there are more “scientists” than ever, there are much less “cultured” men than, for example, about 1750. (p113)

264 《支配》と呼ばれる、人間の間の安定した正常な関係は、けっして力に依存するものではないのであって、それとは逆である。中略ナポレオンがスペインに侵略の軍を向け、ある期間、この侵略が続いたのだが、かれが真にスペインを支配したことはただの一日もなかった。というのは、かれは権力をもってはいたが、まさに権力だけしかもっていなかったからである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p159]

265 支配と服従の機能は、すべての社会で決定的なものである。だれが支配し、だれが服従するかという疑問が社会でくすぶっているかぎり、それ以外のすべてのことも、乱れてぶざまになる。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p179]

266 明晰と呼ぶにふさわしい、すぐれた頭脳の持ち主は、古代世界全体で、おそらくふたりしかいなかった。テミストクレスとカエサルであり、ふたりとも政治家である。一般に政治家は、著名な人も含めて、まさに愚かなゆえに政治家になるのだから、このことは驚くべきことである。

 もちろん、ギリシアとローマには、多くの事柄について明晰な思想を持っていた人々哲学者、数学者、博物学者もあった。しかし、かれらの明晰さは科学的な次元の明晰さであり、いいかえれば、抽象的な事柄での明晰さである。科学の対象とするすべての事物はどれも抽象的であり、抽象的なものはつねに明快である。だから、科学の明晰さは、それをつくる人の頭脳のなかよりも、かれらが語る事物のなかにある。

 具体的な生の現実は、常にただ一つであり、それは本質的に混乱し、こみいっている。このなかで正確に自分の行くべき方向を見さだめる人、生の状態すべてが表す混沌のなかに各瞬間の隠れた特徴を見ぬく人、要約すれば、生のなかで道を見うしなわない人が、真に頭脳明晰なのである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p204]

Of clear heads—what one can call really clear heads—there were probably in the ancient world not more than two: Themistocles and Caesar, two politicians. There are, no doubt, other men who had clear ideas on many matters—philosophers, mathematicians, naturalists. But their clarity was of a scientific order; that is to say, concerned with abstract things. All the matters about which science speaks, whatever the science be, are abstract, and abstract things are always clear. So that the clarity of science is not so much in the heads of scientists as in the matters of which they speak. What is really confused, intricate, is the concrete vital reality, always a unique thing. The man who is capable of steering a clear course through it, who can perceive under the chaos presented by every vital situation the hidden anatomy of the movement, the man, in a word, who does not lose himself in life, that is the man with the really clear head. (p156)

267

207 天飛ぶや 軽の路は 吾妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多く(まねく)行かば 人知りぬべみ 狭根葛 後も逢はむと 大船の 思ひ憑みて(たのみて) 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くが如 照る月の 雲隠る如 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 声に(音に)聞きて 言はむ術 為むすべ知らに 声のみを 聞きてあり得ねば わが恋ふる 千重の一重も 慰むる 情もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば 玉襷 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚びて 袖そ振りつる

208 秋山の黄葉を茂み迷(まと)ひぬる妹を求めて山道知らずも

209 黄葉の散りゆくなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ(人麿) [万葉集 巻第二]

268 源氏物語の文章は、当時の宮廷語、ことに貴婦人語にすこぶる近いものだろう。故事出典その他修辞上の装飾はずいぶん、仏書漢籍の影響も見えるが、文脈にいたっては、純然たる日本の女言葉である。中略源氏物語の文体は決して、浮華虚飾のものでない。軽率に一見すると、修飾の多すぎる文章かと誤解するが、それは当時の制度習慣、また宮廷生活の要求する言葉遣いのあることを斟酌しないからである。官位に付随する尊敬、煩瑣なる階級の差等、「御」とか、「せさせ給ふ」とかいう尊称語を除いてみれば、構成の型に囚われた文章よりも、この方が、よほど、今日の口語に近い語脈を伝えていて、抑揚頓挫などという規則には拘泥しない。自然のままの面白みが多いようだ。中略

 したがってこの新訳は、みだりに古語を近代化して、一般の読者に近づきやすくする通俗の書といわんよりも、むしろ現代の詩人が、古の調べを今の節奏に移し合わせて、歌い出た新曲である。これはいわゆる童蒙のためにもなろうが、原文の妙を解し得る人々のためにも、一種の新刺激となって、すこぶる興味あり、かつ裨益する所多い作品である。音楽の喩えをを設けていわば、あたかも現代の完備した大風琴をもって、古代聖楽を奏するに比すべく、また言葉をかえていわば、昔名高かった麗人の面影を、その美しい娘の顔に発見するような懐かしさもある。美しい母の、さらに美しい娘 O matre pulchra filia pulchrior (Hor. Carm. i 16) とまではいわぬ。もとより古文の現代化は免れ難い多少の犠牲は忍ばねばならぬ。しかしただ古い物ばかりが尊いとする人々の言をいれて、ひたすら品よくとのみ勉め、ついにこの物語に流れている情熱を棄てたなら、かえって原文の特色を失うにも到ろう。「吉祥天女を思ひがけむとすれば、法気づきて、くすしからむこそ侘びしかりぬべけれ」。予はたおやかな原文の調べが、いたずらに柔軟微温の文体に移されず、かえってきびきびとした遒頸の口語脈に変じたことを喜ぶ。この新訳は成功である。 [上田敏「与謝野晶子の新訳源氏物語序文」明治45 1 ]

269 モンゴルの征服戦争が非常な成功であった理由は、抵抗する者を決して許さず、最後の一人まで殺し尽くすが、抵抗せず降伏する者は、人頭税を払わせるだけで助命し、自治を許すという、わかりやすい原則を実行したことだ...。 [岡田英弘「モンゴル帝国の興亡」(ちくま新書2001 p043]

270 チンギス・ハーンは生前、その子孫に対して、いずれの宗教をも、特別に重きを置かないこと、各宗教の信者を平等に待遇することを、強く指示した。神をどのような方法で崇拝するかは、神にとって特別の関係のないことであると、チンギス・ハーンは信じていた。 [岡田英弘「モンゴル帝国の興亡」(ちくま新書2001 p046]

272

488 君待つとわが恋ひをれば わが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く(額田王)

489 風をだに恋ふるは羨し 風をだに来むとし待たば何か嘆かむ(鏡王女)

494 吾妹子を相知らしめし人をこそ 恋のまされば恨めしみ思へ(田部忌寸櫟子)

559 事も無く生き来しものを 老なみにかかる恋にもわれは会へるかも(大伴百代) [万葉集 巻第四]

273 頭脳明晰な人間とは、幻覚的な《思想》から自由となり、生を直視し、生に含まれるものはすべて疑問視されることを理解し、自分が迷っていると自覚している人である。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p205]

The man with the clear head is the man who frees himself from those fanatic “ideas” and looks life in the face, realises that everything in it is problematic, and feels himself lost. (p157)

274 大部分の科学者は、自分の生とまともにぶつかるのがこわくて、科学に専念してきたのである。かれらは明晰な頭脳ではない。だから、周知のように、具体的な状況にたいして愚かなのである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p205-6]

The majority of men of science have given themselves to it through fear of facing life. They are not clear heads; hence their notorious ineptitude in the presence of any concrete situation. p157

275 民主主義は、その形式や発達程度とは無関係に、一つの取るに足りない技術的細目にその健全さを左右される。その細目とは,選挙の手続きである。それ以外のことは二次的である。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p207]

The health of democracies, of whatever type and range, depends on a wretched technical detail—-electoral procedure. All the rest is secondary. (p158)

276

51 去年もさぞ唯転寝の手枕に はかなく帰る春の夜の夢(春)

54 日はおそし心はいざや 時わかで春か秋かの入相の鐘

59 風通ふ花のかがみはくもりつゝ 春をぞわたる庭の飛び石

72 行きなやむ牛の歩みに立つ塵の 風さへ暑き夏の小車(夏) [藤原定家「拾遺愚草」中韻歌百二十八首 建久七年九月十八日内大臣家]

277

79 大空は梅の匂にかすみつゝ 曇りもはてぬ春の夜の月(春十二首)

85 春の夜の夢の浮き橋 とだえして 峯にわかるゝ横雲の空 [藤原定家「拾遺愚草」中仁和寺宮五十首 建久五年夏]

278 なにもかも、スポーツにたいする熱狂(熱狂であってスポーツ自体ではない)から政治的暴力まで、《新芸術》から流行の海水浴場でのばかげた日光浴まで、すべては同じことであろう。これらはどれも根なし草である。なぜならば、それはどれも悪い意味での発明であって、軽い気まぐれとほぼ同じ程度のものである。それは、生の本質的な根底からの創造ではない。本当の熱望でも必要事でもない。結局すべては、生の本質から見れば欺瞞である。真実性を主張すると同時に偽物であるという。矛盾した生の一様式の例がここにあるのである。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p242]

279 共産主義がロシアで凱歌をあげたときに、多くの人は、西欧が赤色の本流に洗われるだろうと考えた。私はそのような予言に与しなかった。それどころか、当時私は、ロシアの共産主義は、ヨーロッパ人という、歴史の努力と熱意のすべてを個人主義の切札にかえた種族にとっては、同化しがたい内容を持っている、と書いた。 [オルテガ「大衆の反逆」 (寺田和夫訳、中公クラシック)p246]

280 著者は、インド人の思考法の基本が観察から法則を導き出す帰納法にあり、そこにギリシャのアリストテレスが創造した演繹的論理学との違いがあると考える。詳述することは出来なかったが、インド人の帰納法的な思考の淵源は、インド文法学の伝統、さらにさかのぼって、ブッダの「縁起」の教えに在るのではないかと考えている。 [桂紹隆「インド人の論理学」(中公新書1998) pv]

281 「実例」とは、普通の人と学者とがそのことに関しては理解を同じくするようなものである。 [ニヤーヤ・スートラ1.1.25 (桂紹隆「インド人の論理学」p66)]

282 インド論理学は、伝統的に帰謬法に知識手段(プラマーナ)の地位を与えていない。帰謬法は、知識手段を補助することによって真理の認識に役立つものであるが、それ自体は真理の認識であるとは考えられなかったからである。「実例」に象徴されるような経験的知識にもとづく「目的志向型」のインド論理学において、たとえ対論者を論破するためとはいえ、事実や学説に反する過程から、事実や学説に反する結論を導き出す帰謬法は、正当に評価されなかったのであろう。 [桂紹隆「インド人の論理学」(中公新書1998) p69-70]

283

601 情ゆも吾は思はざりき 山河も隔たらなくにかく恋ひむとは(笠女郎)

607 皆人の寝よとの鐘は打つなれど 君をし思へば寝ねかてぬかも(同上)

608 相思はぬ人を思ふは 大寺の餓鬼の後に額づくがごと(同上)

610 近くあれば見ずともありしを いや遠に君が座さばありかつましじ(同上)

612 なかなかに黙もあらましを 何すとか相見そめけむ遂げざらまくに(家持)

626 君により言の繁きを 古郷の明日香の川に潔身しにゆく(八代女王) [万葉集 巻第四]

284

50 秋をへて昔は遠き大空に 我が身ひとつのもとの月影(秋)

68 仰げどもこたへぬ空の青緑 空しくはてぬ行末もがな(雑) [藤原定家「拾遺愚草」中院五十首 建仁元年春]

285

702 夕闇は路たづたづし 月待ちて行かせわが背子 その間にも見む(大宅女)

730 逢はむ夜は何時もあらむを 何すとかかの夕あひて言の繁きも(大伴坂上女郎) [万葉集 巻第四]

286

799 大野山霧立ちわたる わが嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ちわたる(憶良)

802 瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ 何処より来りしものそ 眼交にもとな懸りて 安眠し

寝さぬ(憶良)

803 銀も金も玉も何せむに 勝れる宝子に及かめやも(憶良)

822 わが園に梅の花散る ひさかたの天より雪の流れ来るかも(大伴旅人)

839 春の野に霧立ち渡り降る雪と 人の見るまで梅の花散る(筑前目田氏真上)

844 妹が家に雪かも降ると見るまでに ここだも乱ふ梅の花かも(小野氏國堅)

887 たらちしの母が目見ずて鬱しく(おぼぼしく) 何方向きてが吾が別るらむ(憶良)888 常知らぬ道の

長手を くれくれと如何にか行かむ糧米(かりて)は無しに

890 出でて行きし日を数へつつ 今日今日と吾を待たすらむ父母らはも

893 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

907 布施置きてわれは乞ひ祷む あざむかず直に率去ゆきて天路知らしめ(作者未詳) [万葉集 巻第五]

288 窮達皆由命 何労発嘆声 但知行好事 莫要問前程 冬去氷須X 春来草自生 請君観此理 天道甚分明X=さんずいに半(とける)  [馮道「天道」]

289 As a working proposal, and as so often in this book (and in human affairs in general), a “Goldilocks solution” embodies the blessedly practical kind of approach that permits contentious and self-serving human beings (God love us) to break intellectual bread together in pursuit of common goals rather than personal triumph. (For this reason, I have always preferred, as guides to human action, messy hypothetical imperatives like the Golden Rule, based on negotiation, compromise and general respect, to the Kantian categorical imperatives of absolute righteousness, in whose name we so often murder and maim until we decide that we had followed the wrong instantiation of the right generality.)  [S. Gould, Structure of Evolution Theory p7]

290 Personal distaste, needless to say, bears no necessary relationship to scientific validity. After all, what could be more unpleasant, but also more factually undeniable, than personal mortality? [S. Gould, Structure of Evolution Theory p43]

291 Revolutions usually begin as replacements for older certainties, and not as pristine discoveries in uncharted terrain.  [S. Gould, Structure of Evolution Theory p117]

292 よくいわれる旧石器、新石器、金石併用、青銅器、鉄器という序列で文明の進歩をはかるのは、かならずしも適当じゃないような気がするんです。戦争とか武器を中心に歴史を考えるのならそういう尺度もいいんでしょうが、こと文化について考察するとなると、鉄を知っているから上、知らないから下、というようなことはいえない。 [増田義郎、吉村作治「インカとエジプト」(岩波新書787p196 増田]

293 I read it (= Origin of Species) again in the way he (= the author’s brother) had counselled, and then refused to think any more on the subject. I was sick of thinking. Despite my determination to put the question off, my mind, or sub-conscious mind, like a dog with a bone which it refuses to drop in defiance of its master’s command, went on revolving it. It went to bed and got up with me, and was with me the day long, and whenever I had a still interval,when I would pull up my horse to sit motionless watching some creature, bird or beast or snake, or sat on the ground poring over some insect occupied with the business of its little life, I would become conscious of the discussion and argument going on. And every creature I watched, from the great soaring bird circling in the sky at a vast altitude to the little life at my feet, was brought into the argument, and was a type, representing a group marked by a family likeness not only in figure and colouring and language, but in mind as well, in habits and the most trivial traits and tricks of gesture and so on; the entire group in is turn related to another group, and to others, still further and further away, the likeness growing less and less. What explanation was possible but that of community of descent? How incredible it appeared that this had not been seen years ago —yes, even before it was discovered that the world was round and was one of a system of planets revolving round the sun. All this starry knowledge was of little or no importance compared to that of our relationship with all the infinitely various forms of life that share the earth with us. Yet it was not till the second half of the nineteenth century that this great, almost self-evident truth had won a hearing in the world!  [W. H. Hudson, Far away and Long ago — a history of my early life— (E. P. Dutton & Company, New York, 1918) p328-330]

294 When I hear people say they had not found the world and life so agreeable or interesting as to be in love with it, or that they look with equanimity to its end, I am apt to think they have never been properly alive nor seen with clear vision the world they think so meanly of, or anything in it — not a blade of grass.  [W. H. Hudson, Far away and Long ago — a history of my early life— (E. P. Dutton & Company, New York, 1918) p331]

295

06 夕より雲はまよはぬ月かげに 松をぞはらふ峯の木枯

15 月きよみ玉の砌の呉竹に 千代をならせる秋風ぞ吹く

24 秋の月なかばの空のなかばにて 光の上に光添ひけり

25 物ごとに秋の哀は数そひて 空ゆく月の西にすくなき

30 玉桙の道もさりあへぬ春の花 それかと紛ふ山の月影

77 嶺に吹く風に答ふる下もみぢ 一葉の音に秋ぞ聞ゆる [藤原定家「拾遺愚草下」]

296 余談ながら私自身「実用数学技能検定」を通して、「数学が好き」であることと、「数学ができる」こととの相関が予想外に低いことを感じている。 [一松信「書評「不完全性定理、野崎昭弘著」数理科学No.406(19974 月号), p80]

297

25 夕附日むかひの山の薄紅葉まだき久しき秋の色かな

34 徒に積れば人の長き夜も月みてあかす秋ぞすくなき

35 大方の嵐も雲もすみはてゝ空のなかなる秋の夜の月 [藤原定家「拾遺愚草下」]

298 Apostates must be smart, skilled, potentially effective (and therefore feared) –and also former adherents to the orthodoxy they now reject.  [S. Gould, Structure of Evolution Theory p453]

299 In extensive reading required to compose a chapter like this, one acquires great respect for rare scientists with the mental power, and basic thoughtfulness, to explore and integrate the full set of implications and ramifications within great themes –and formalist vs. functionalist thinking must rank among the greatest of all biological themes...  [S. Gould, Structure of Evolution Theory p465]

300 ...but war and conquest, combat and death, provide the principal examples of competition throughout the em Origin. Why else did Tennyson’s earlier line from In Memorium (1850) –”nature red in tooth and claw”– become the canonical characterization of Darwin’s world (see Gould, 1992a)? [S. Gould, Structure of Evolution Theory p472]

271

337 憶良らは今は罷らむ子泣くらむ そを負ふ母も吾を待つらむそ(憶良)

418 ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ(大津皇子)

446 吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は 常世にあれど見し人そなき(大伴旅人)

450 往くさには二人わが見しこの崎を 独り過ぐればこころ悲しも(大伴旅人)

452 妹として二人作りしわが山斎(しま)は 木高く繁くなりにけるかも(大伴旅人)

455 かくのみにありけるものを 萩の花咲きてありやと問ひし君はも(余明軍)

470 かくのみにありけるものを 妹もわれも千歳のごとく憑みたりける(家持) [万葉集 巻第三]

287

919 若の浦に潮満ち来れば 潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(赤人)

922 皆人の命もわれも み吉野の瀧の常磐の常ならぬかも(赤人)

925 ぬばたまの夜の更けゆけば 久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(赤人)

1042 一つ松幾代か経ぬる 吹く風の声(おと)の清きは年深みかも(市原王) [万葉集 巻第六]